こども食堂

善意の「子ども食堂」で傷つけられる子どもたち-悪意のない「無理解」と押し付けられる「正しさ」

2015年2月から大学の仲間と「はちおうじ子ども食堂」に取組み、公益財団法人「あすのば」(子どもの貧困対策センター)の子どもサポーターを務めている三宅正太と申します。

前回、2016年7月に記事を執筆してから1年と少しが経ちました。今回もこれまで「子ども食堂」の現場で子どもと一緒に時間を過ごし、感じたことをお伝えできればと思います。

子ども食堂での調理(子どもも大人も人気のフルーツかき氷。月一回の子どもの食堂のため、普段、家ではちょっと食べれないメニューで、みんなで食事を楽しめたらと思ってます。)

悪意のない行動が凶器になる時

「子どもの貧困」の実態や、それに対する活動がたくさんのメディアで取り上げられ、以前よりも関心はある程度高まってきました。しかし、まだまだ子ども自身への理解が深まっておらず、悪意がなくても子どもを傷つけてしまう事例が「子ども食堂」の現場でも見られます。

1.いきなり子どもをカメラで撮影

見学者や取材の対応について十分に気をつけていても、誰にでも起こり得てしまうのがカメラでの撮影です。事前にお断りしていても、いきなりカメラで「パシャリ」と、子どもや参加されている方を撮られる見学者や当日のボランティアさんがよくいらっしゃいます。

心に響いていなかったのか、単に忘れていただけなのかわかりませんが、どちらにしても写真を撮られる側の気持ちが汲み取られてない気がします。子どもにとっては、「え、誰?何に使うの?」と怖くなったり、見世物のような気分になりますし、そもそも写真を撮られる事自体が嫌な人もいます。

2.いきなり支援者っぽく話しかけてくる

よく卒論やゼミの研究でボランティアやフィールドワークに来る学生でよくある事例です。「何に困ってここに来ているんですか?」「何がつらいですか?」「何が大変ですか?」と子どもやその保護者に質問する人がいます。

急に知らない人からの同情や哀れみに近い言動、また質問の連続は、支援者と被支援者の立場を明確にしてしまい、気持ちを圧迫させてしまったりすることがあります。相談や辛い気持ちを出すことは、安心できたり、自分を出してもいいと信頼できる人にできるものであって、困っていることを前提に話すことそのものが、「自分は可哀想な存在なんだ」と本人の自尊心を傷つけてしまいます。

3.できないことを否定する、批判する

「がんばってボランティアの人が作ってくれたんだから、全部残さず食べなさいよ!」「嫌いな野菜も食べな!」「我慢してじっと食べな!」という言葉もたびたび聞かれます。参加される方や当日のボランティアさんで多いです。

子どもたちは日頃から周りの大人に同じような注意を受け続け、嫌な気持ちや『こんな自分はダメなやつなんだ』といった気持ちになっているかも知れません。家や学校で多くのことを我慢や諦めをしなければいけない環境から、やっと自分が出せる場面かもしれないのに、「あれはダメ!」「これはダメ!」と否定されると、どこにも自分が出せなくなってしまいます。

しつけも大事ですが、まず否定から入るのではなく、子どもがしようとしていることやその気持ちを汲み取ることが必要です。

過去には、このようなことが原因で「子ども食堂」に来られなくなってしまった子どももいました。運営の課題として片付けることもできますが、社会で子どもを育てる流れをもっとよくするのであれば、社会の雰囲気として注意が必要な事例だと思います。

子ども食堂の様子(毎週一回行っている居場所活動の食事の写真。子ども食堂では、できなかった「子どもがのんびりできる」場所を目指してます。)

善意だけでは続かない「子ども食堂」

様々なボランティアで、よく議論されることですが、改めて整理したいと思います。

「私はこんなに頑張っているのに、誰も何もしてくれない!」
「なんでそこまでやらないといけないの?」
「自分はこんないいことをやっているのに、なんで誰もやってくれないか?」

「子ども食堂」の現場でもよくこのような声を耳にします。ボランティアという善意だからこそ、余裕がなくなった時、うまくいかなくなった時、組織がまわらなくなった時に、爆発する気持ちだと思います。

この状況を組織的な課題として解決しないといけないと思うと同時に、このような考え方をしてしまう今の雰囲気が、今の日本全体の社会の雰囲気と似ていると感じてしまいます。

「今の自分は、みんなみたいに頑張れていないから、子ども食堂に行くと責められる」
「自分は、頑張れない人間だから、ここにいる意味なんてないんだ」
「ずっと自分は我慢をして生きてきた。頑張っていきてきた。もう生きなくてもいいんじゃないか」

頑張っている人に比べ、我慢している人に比べで、限界を迎えた人が集まるのも「子ども食堂」です。善人でいられ続けられる人は、ほとんどいないと思います。

子どもの中には、

「こんな(道徳に反する)気持ちを持ってはいけない」

と考える人もいます。

誰だって不条理なことをされたらその人を罰したくなる気持ちが生まれると思いますし、誰だって好きな人にパートナーがいても諦めきれない気持ちがあると思います。

だからこそ、善意だけでは、今後も「子ども食堂」は長くは続かないと思います。頑張る物差しは、みんな違います。子どもだって、大人だって、困っている時や苦しい時は、その気持ちを一人で溜め込むのではなく、頼れる人に発散することが必要だと思います。

ボランティアの世界では、「正しいこと」が優先されがちですが、みんなの気持ちをお互いに考え合って「楽なこと」「心地良いこと」が優先される時代になっても良いのではないかと思います。大人同士がちょっと息苦しい関係や空気を作り出してしまっていては、それはかえって子どもに過度なストレスになっているのではないかと感じるからです。

街頭募金(「5月5日は子どものことを考える日」として八王子駅前で街頭募金を行いました。お金を集めることだけが目的ではありません。)

子どもの環境の変化はあったのか?

2017年に入り、「子ども食堂」が今でも全国各地で広がり続け、支援者同士の新しいネットワークもできると、社会で子どもを見守ろうとする空気感が確かに作られてきた感じがします。現場だけでなく、政策としても「子どものため」また「貧困の家庭の子どものため」と調査や仕組みづくり、現行制度の見直しが進んできたと思います。

一方で、子どもたちの生活や暮らし、気持ちにはどういった変化があったのでしょうか?「子ども食堂」の活動が本当に子どものためになっているのか、子どもの変化が見えづらい状況で、次のような言葉を聞くと少し違和感を覚えます。

「たくさん子どもが来ました」
「おいしくお腹いっぱいご飯を食べてくれました」
「子どもと高齢者とが仲良く交流できました」

現状、「子ども食堂」の近況報告や、ネットワークの会議などの情報交換の場においては、活動の結果としての子どもの姿や、過去の整理ができた当事者の声からでしか、子どもの大きな変化は見えません。メディアであっても、文字数の制限やプライバシーの点から、子どもの現在進行系での細かな困りごとやうれしいことを汲み取るには困難です。

「子ども食堂」のブームが来て数年が経とうとしています。きれい事だけ済まされたわけではなく、子どもも大人も、失敗や大変だったこと、悩んでいることはたくさんあると思います。

そろそろ「寄り添うことが必要」「地域づくりが大切」というように理想や建前の言葉ではなくて、実際に出会ってきた子どもや大人たちが、どのような時に良い表情をして、どのような時にみんながんばろうとしていたのか、どのような時に居心地が良かったのかと振り返りながら、本音を出しても良い時期ではないかと思います。

自分たちの活動の悩みや困り事という本音の部分、さらには自分たちの活動を通してどう子どもが変わったのかという子どもの変化に気づかずにして、「子ども食堂」の活動の改善や持続、「子ども食堂」を超えることはできないと思います。

子ども食堂の様子(開店日当日の準備の時に、突然バイクで「近所のおやじです」とだけ名乗ってご寄付くださりました。子どもへの思いがある大人が増えてうれしいです。)

それは、本当に「子どものため」になっているのか?

「子どものために」と子どもに言っても、それは恐怖です。

よく親が子どもに「アナタのために、がんばっているんだから」というように、子どもからすれば、「そんな自分を犠牲にしてまで、私のためにがんばらないで」「別に自分は望んでアナタを親として選んだわけではないし、私を巻き込まないでほしい」となってしまいます。

しつけや支配、管理の口実として「アナタのためだから」と言われるより、自然体でお互いのためになる関係のほうが結果的に「子どものために」なるのではないかと思います。

私たちの「子ども食堂」で必要としている人はこんな人です。

“正しいことを押し付けてくる人ではなく、どんな悪さをしても見捨てない存在、おとな”

年齢を重ねてどんどん子どもから離れる私たちだからこそ、本当に「誰かのため」と言っている時は「それは本当に誰かのためになっているのかな」と問い続けていきたいです。

Author:三宅正太
特定非営利活動法人「山科醍醐こどものひろば」職員。1995年兵庫県出身。大学生時代に「はちおうじ子ども食堂」を立ち上げる。同時期に公益財団法人「あすのば」の設立に関わり、卒業までこどもサポーターとして都道府県ごとのイベントや子ども若者の合宿などの企画を担当。卒業後は滋賀にある特定非営利活動法人「こどもソーシャルワークセンター」で半年スタッフを経験し、現在に至る。

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