イタリアの地方都市での実践、レッジョ・エミリア・アプローチ(以下、レッジョ・アプローチ)が世界的に注目される所以は何によるものでしょうか。シリーズ最後の今回では「対話」をキーワードにレッジョ・アプローチの手法から学ぶべき点を探求してみましょう。
子どもと保育者の対等な対話:グループ活動「プロジェッタツィオーネ」
レッジョ・アプローチの特徴として挙げられるもののひとつとして「プロジェッタツィオーネ」と呼ばれる、4、5人程度のグループで展開される活動があります。
これは決まったカリキュラムに沿って大人が子どもに教えるのではなく、子どもと大人が協同でプログラムを創造し、子どもの興味関心と探求を深化させていくものです。レッジョの市立園の中でも著名なディアーナ幼児学校では「子どもをカリキュラムに押し込むのではなく、子どもを基準にしてカリキュラムを作ることを目指しています」※1と明言しています。
保育者たちの役割は大まかな目標を示した上で、子どもたちの主体性を重視した活動を支え、「共に学び探求する者」であることです。それは、ローリス・マラグッツィが言う「教師は同時に研究者になるべきである」という言葉に象徴されます。
(ある園まで向かう道。園の隣にある広大な公園も園児たちの憩いとあそびの場となる。)
プロジェクタツィオーネは3歳からの3年間、複数の担任が持ち上がりでクラスを担当し、安定し成熟した信頼関係を構築することから始まります。あるテーマをもとに子ども/保育者間での対等な対話をもとにカリキュラムを共に創造し、子どもの関心と探求に添う形で数週間から数か月に渡る長期的なプログラムとして実施されます。
しかし、近年では日本においても子どもたちの「協同的な学び」の必要性が問われ、プロジェクト学習を取り入れて実践している園もありますので、上記のことだけではレッジョ・アプローチ固有とは言えないでしょう。
アートを通じたモノとの対話
プロジェッタツィオーネの特徴のひとつとして、アートを通じた実践がなされている、ということが挙げられます。
アートを通じて、といっても「今日は○○をつくります」というプログラムが決められているわけではありません。空気、光、自然、環境、身体、生命、他者、都市、世界など日常生活にあるファクターを素材とし、五感に語り掛けながら展開されます。
アート、と言うと日本では絵画や造形のような限られたものを連想されがちですが、そもそもアートは日常から乖離されたものではなく日常と共にあるものであり、こういった意識はヨーロッパと日本では異なるところです。
(5月に開催される写真展に合わせて、深夜でも市営の博物館等が無料で開放されていた。)
これらの活動はアトリエリスタと呼ばれるアートの専門知識と保育現場をつなぐファシリテーターによって補完されます。アーティストが直接現場に携わることもありますが、その際もただ作家の作品を取り上げるのではなく、作品に潜む背景などを保育者がまず探求し、子どもと共有した上で活動が実施されます。
「アートとの出会いは、以前はわからなかった現実の側面を明らかにし、周囲の世界の対する敏感さと注意深さを促すことができると、私たちは信じています。」※1
というアトリエリスタの言葉からもわかるように、アートを通じた対話と表現は、子どもと大人両者に新たな世界の見方を提示します。
習熟した学びは子どもたちの表現を見ると一目瞭然で、それらの表現は世界を巡回した作品展覧会で多くの人々に驚きと感動をもたらしました。作品は完成された芸術作品を目指して創られるわけではなく、学びの過程のプロセスが結晶化されたものであり、豊かな表現は豊かな学びの時間を想起させます。
子ども・保育者・保護者・学校・地域の対話:ドキュメンテーション(活動の実践記録)
活動実践は保育者によって「ドキュメンテーション」と呼ばれる記録としてまとめられます。
ドキュメンテーションは、プロジェッタツィオーネと連動する重要なもので、あるペタゴジスタ(教育専門家)は「ドキュメンテーションのないプロジェッタツィオーネはありえません」と断言します。
これは、①子ども:活動のふりかえり、②保育者:子どもの発達の研究資料と自身の探求の記録、③保護者:子どもの活動を知る情報、④学校:実践記録の集積とアイデンティティ形成、⑤子ども・保育者・保護者・地域:協同し、共有するコミュニケーションツール、として機能します。
ドキュメンテーションは活動と同時進行的にその場でなされます。常にすべての子に対して記録がなされるというわけではなく、小グループ単位でどのように子どもと保育者の探求が深化されたかを丁寧に記録します。そして子どもたちが帰った後、記録をもとに保育者間で話し合い、翌日のカリキュラムを立てます。
ドキュメンテーションには、子ども自身の対話、子ども同士の対話、子どもと保育者間との対話、学びや表現の生成と深化の過程が文、写真、映像、イラストなどによって可視化されます。記録として存在するのではなく、その記録をもとに如何に今後の現場に生かされるかの発展的な研究と探求の材料であり、それは保育者が現場を通して紡ぐ物語でもあります。
そして、それらの記録はパネルや編集した映像記録等にまとめられます。2015年に視察したある園ではアトリエリスタが作成したドキュメンテーションが園の壁いっぱいに貼られ、園を訪れる誰もが閲覧可能となっていました。数々のプロジェッタツィオーネのドキュメンテーションも手持ち資料として閲覧可能で、その豊かな実践とドキュメンテーションへの熱意に驚かされます。
(子ども教育立国指導者養成講座の1コマ。粘土で造形する様子をもとにドキュメンテーションを実際に作成した)
また、ドキュメンテーションはローリス・マラグッツィ・センター内のドキュメンテーションセンターにアーカイブされており、地域の人にもオープンになっています。
実際に見てみると「ドキュメンテーション、いいね!」という気持ちを揺り動かされるのですが、実行するとなると、デザイン的にも完成度の高いドキュメンテーション作成にあたり、「作成時間はどう担保されるのか?」等様々な現実的な問題に思いを馳せることになります。
なお、レッジョの園ではパネル記録等の作成のために、1週36時間の勤務時間中1.5時間が教師の専門的仕事として記録の分析と記述にあてられることが認められているそうです。※2
ドキュメンテーションを実践するにあたって
ここで、僭越ながら自分の経験からお話させて頂きます。筆者は8年間に渡り子どもの創造活動に従事していますが、その活動の中で子どもとの実践活動を写真、文書、映像によって記録しています。
そして、子どものふりかえり、自分自身の研究と探求、保護者への情報伝達と活動の理解へのきかっけづくり、と様々な有効性と重要性を実感しています。実践の中で理解していることは、記録は子どもとの信頼関係の構築と子どもたちの個別性を理解した上で行う経験と鍛錬が求められ、常に発展し続けるがゆえに決められた最良の形式は存在しないということです。
しかし、そういった実践は時間と鍛錬を要するために恒常的に実施するには個人での自発的活動では限界があります。そして、組織でそれらを支える仕組みづくりなくして継続的な実践は難しいと感じています。
日本の教育現場でもドキュメンテーションの重要性が認識され、取り入れ始めている自治体や園も出てきています。現在でも飽和状態でもある保育者の仕事量に負担をかけず意義深い実践としていくよう、「どうしてこのような記録が必要であり有効か」の共有認識を持った上で、既存の業務の見直しや組織的な支えとテクノロジーを利用した負担軽減等の方法が模索されていくことが必要であると考えます。
子どもたちにとって何が良いのか?を丁寧に積み重ねる
レッジョ・アプローチは戦後の荒廃の中で平和を希求し、市民共同でレンガをひとつひとつ手渡しをして学校をつくることから始まりました。
それは、ローリス・マラグッツィという思想的リーダーの元、先端的な教育学を取り入れながら丁寧にじっくりと熟成し、市民と共に創り上げてきた地域の共同体の歴史でもあります。
私には、そこにあるのは挑戦でも反乱でもなく「何が子どもにとって最良の学びなのか」という真っ直ぐで本質的な問いかけと日々の実践の積層であるように思えます。
1991年に野に咲く花のような実践が世界的に知られるようになり、レッジョ・アプローチも新たな展開を迎えています。
1994年にはレッジョ・アプローチを管轄するレッジョ・チルドレンが設立されひとつの企業体としての活動を始めています。
2006年には市の中心部にローリス・マラグッツィ・センターが建設され、世界中からレッジョ・アプローチの源泉を求めて毎日のように多くの人が研修に参加しています。
また、2015年度にはミラノで開催された万博でレッジョ・チルドレンが監修する「循環と環境」をテーマに華やかなブースが出展されました。今後、どのような展開がなされていくか楽しみです。
(2015年のミラノ万博。循環と環境を体感しながら学ぶ。)
レッジョ・アプローチは特定のメッソドや教育制度ではありません。そのことは、レッジョ・アプローチが教科書的に習得した知識によって到達されるものではないことを意味しています。それは「自分たちで何が最良か考える」機会をいただいているとも言えます。そして、優れた活動を実践する園は、もちろん日本にも数多く存在します。
子どもをひとりの人間として尊重し、深い専門的知見と未来へのまなざし、共同体への意志を携え本質を見つめていくこと、それこそがアート教育、と呼ぶにふさわしいものと考えます。なぜなら、アートは、模倣でもデザインでもなく、世界の真実に向けてのまなざしと扉なのですから。
※ここに掲載されている写真、内容は石井希代子氏監修の子ども教育立国主催「レッジョ・エミリア・ツアー2015」を通じ得たものです。
<参考文献>
※1:Pen (阪急コミュニケーションズ 2006年5月15日発行)
※2:子どもたちの100の言葉―レッジョ・エミリアの幼児教育
※3:子どもたちの想像力を育む―アート教育の思想と実践
・Loris Malaguzzi の幼児教育思想に関する研究 -「子どもたちの 100 の言葉」というメタファーに焦点を当てて-
本記事は、NPO法人子どもARTプラットフォームの森井圭が担当。子ども向けワークショップ、親子向けワークショップの開催、保育施設への指導者派遣等による子どもへの創造活動の提供を通じ、アートを通じた子どもの創造力を高める教育の普及を推進します。また、子どもの創造力を高める教育の専門家の育成を促進し、保育者の社会的地位向上のため政策提言等行います。さらに、子どもの教育を通して保護者である親の教育、アートに関する価値観を変容させ、次世代へと引きつぐ創造的な文化芸術、産業、教育等の事業を育み、地域の活性化と社会の発展に貢献することを目的とします。また、優れた指導者を養成することで全国各地の子どもたちに良質な教育を提供します。