大学無償化法案が成立し、早くも2020年度の在学生から適用がはじまります。
ここまでに大学生の奨学金問題を社会課題として提起してきた大学関係者、また、生活困窮の子どもの学習支援関係者には、正に「希望の光」となる前進であることは間違いありません。筆者も、子どもの貧困問題に関わってきた者として、これで救われる学生がいる点で確かに評価できます。
しかし、この制度の中には、高等教育をますます劣化させ、人々の意識に悪影響を与える「ルール」が組み込まれています。喜んで食べてしまったら毒がまわる「毒まんじゅう」となる結果にもなりかねません。
大学無償化制度の詳細については、文部科学省がまとめた下記のサイトを見て頂くとして、本稿では、この制度がもたらす具体的な3つの「毒」について解説し、どうしたら「無害化」できるかについて考えます。
※文部科学省:高等教育の修学支援新制度(授業料減免と給付型奨学金)
第一の毒:「無償化」は誇大広告!所得制限がもたらすデメリットとは?
「生まれた家庭の経済状況によらず、どんな子どもでも希望すればしっかりとした教育を受けられる制度」。この理念を目標とするならば、「全員無償化」が本来の目指すべき制度です。
しかし、高額な大学教育を全員無償化するには、2兆ともいわれる莫大な予算が必要となります。したがって、受けられる人数を制限しなければならず、まずは家庭の「所得」で制限する必要があります。これが第一の毒です。
では、どこの所得で線引するのでしょうか?現在の案では、「住民税非課税世帯」とそれに準ずる世帯となっています。4人の家庭の場合、およそ約380万円以下が対象となり、所得が低くなるにつれて、授業料減免額が多くなり、約270万以下で満額が支援されます。
「世帯年収」なので、両親二人の所得合わせた収入で約380万円という線以下だと支援を受けられます。高校の学費無償化が世帯年収約910万円以下で支給されるのと比べて、対象者がかなり絞られています。
しかも、この所得層で「大学進学を考える」または、「実際に行っている人」はそもそも少なく、無償化の恩恵に預かれる人は限られます。しかも満額の支援を受けられたとしても一定の標準額までで、完全無料になるわけではありません。これを「無償化」と打ち出しているのは、政府が行う「誇大広告」に他ならず、事実誤認で悲しい思いをする高校生や家庭が増えそうです。
また、「子どもの大学の学費をなんとか捻出しよう」と、お母さん等がパートやアルバイトをして収入を増やしてきた方々が、父母の収入を合わせてみたら、この線を超えてしまい、支援の対象から外れてしまった、という家庭も続出しそうです。
「こんなことなら、あんなに辛い思いして働かなければよかった」、貰える人に対して「ズルい!」という感覚を持ったとしても仕方ありません。そもそも「税負担」が少ない人ほどメリットをより多く受けられる制度となり、社会的不公平感を加速させるでしょう。
金額が学費・入学金だけで最大で96万円、給付型奨学金も最大で91万円をあわせれば187万円ともなり、これだけの金額を稼ぐのは自分で働くよりももらった方が良いと、所得をその線以下にする家庭も増えそうです。
また、偽装離婚で世帯年収を下げ、給付型奨学金と学費減免を勝ち取るテクニックを駆使した場合、生活保護のようなチェック体制もないのにどのように見破るのでしょうか?働く意欲を失うモラル・ハザードも起こりそうです。
第二の毒:学生の「適正」をチェック!支援対象者の要件確認によるデメリットとは?
貴重な税金を投入して大学で学修するのですから、しっかりと学んでもらわないと納税者への説明責任が果たせません。そのため、「大学等への進学後は、その学習状況について厳しい要件を課し、これに満たない場合には支援を打ち切る」となり、適正な学生であるかのチェックの基準が設けられています。
しかし、この基準はどうしても表1の通り、単位数や出席数などわかりやすい基準になってしまい、その結果、「学習意欲が低い」と判断されると打ち切る、場合によっては、「支援した額を徴収する」ということまでできるとあります。
ここで、大学での豊かな学びを経て社会で活躍している皆さんも考えて下さい。「大学での豊かな学びとは、授業の中のみにあったのか?」と。時として、授業よりも没頭する何かに出会い、それらに挑戦する中で自ら勝ち得た気づきや学び、人間的ネットワークが最大の学びになったという人の方が多いのではないでしょうか?
数多くの大学生を見てきましたが、大学時代に様々な活動をする中、自分の主体的学びのテーマをみつけた学生は、授業を一時的に犠牲にしたりしながらも、人間的にも豊かに成長していきます。むしろ、授業だけに縛り付けられている学生の方が、社会的視野が広がらず成長できないケースもあります。
この奨学金制度を受けたばかりに、大学から奨学金の打ち切りをちらつかされ、カリキュラム外の学びから遠ざかり、高校の延長のように家と大学を往復するだけの環境に閉じ込めてしまうやもしれません。
第三の毒:大学等の「適正」をチェック!大学等の要件確認によるデメリットとは?
税金で支援して学んでもらうのだから、ちゃんと役に立つ「まともな大学等」で学んでもらう必要がある。そんな考えで設けられた基準が「大学等の要件確認」です。これが、ますます大学を劣化させる相当な毒素をもたらします。
対象を「学問追究と実践的教育のバランスが取れている大学等とする」ため、「実務経験のある教員による授業科目が標準単位数の1割以上、配置されていること」、「法人の理事に産業界等の外部人材を複数任命していること」の要件をいれています。
これが一部の学部ではなく、その大学のすべての学部で満たされることが必要で、もし、学部の特性で満たせないなら合理的な理由を説明せよ、とあります。
ここで、当然、下記のような疑問が浮かびます。
・その実務経験はどれぐらいあれば教えるのに適格なのか?
・実務経験をもっていれば、良い教育ができるのか?
・それが1割以上あれば、社会とつながる効果的な教育になるのか?
・そもそも職業とつながる教育でないと役にたたないのか?
・法人の理事に、産業界等の外部人材が複数任命されれば良い大学になるのか?
急場でつくった法案でもあるため、これらの条件に合理的な説明はありません。「ざっくりこんな条件をつけておくしかないだろう」というぐらいのものです。
大学とは、社会で活躍する実務能力を身につけ、就職できるための「就職予備校」としての特性を明確化にする踏み絵になっています。この踏み絵を踏むことを拒否する大学は、要件が満たせず学費減免措置が受けられない学校となり、結果的にダメージは学生たちに及びます。正に学生たちを人質にしたルールです。
大学側は、この条件を否が応でも飲まざるを得ません。形だけでもその条件を飲むために、中身云々より、条件整備に奔走している様が目に浮かびます。最高学府としての大学の挟持を考える余裕はもはやなく、すでに現在でも世界の中での日本の大学の劣化は著しい状況ですが、これからますます凋落していくでしょう。
「毒まんじゅう」を無害化するために必要なこととは?
「大学にいくのか」「就職するのか」の問いを18歳までにしっかりと掘り下げ、模索する教育がないことが問題です。
進学情報に比べ、「就職すること」の価値や情報が圧倒的に少なく、伝わっていないことが、「とりあえず大学進学」の風潮を生み、目的が不明なまま進学し、奨学金を行き渡らせられないほどの多すぎる大学生を生み出しています。大学教育を、本当に学びたい人が学ぶ場所としていくためには、前行程の高校教育を豊かにしていくことが不可欠です。
文部科学省は、今回の大学無償化にかかるコストは、最大で年間7,600億円と試算しています。これだけ対象を絞ったとしても莫大な金額です。この10分の1のお金があれば、どれだけ高校の教育を豊かにし、貧困家庭の子どもたちの小・中・高までの学びを支援できるかと思うと、コストの割にはバランスの悪い政策です。
しかも、不公平感に火がついた国民の要求はますます高まり、「もっと受けられる層を拡大して欲しい!」と、底の空いたバケツのようにこの政策はお金を吸い込んでいくことになるでしょう。毒まんじゅうの毒は着実に私たちの意識を蝕みます。
子どもたちが社会のなかで自立していく全体のプロセスの中で、最適な教育のあり方を再設計し、教育費をどこに配置すべきかを考える時にきているのではないかと強く思います。
一般社団法人アスバシ代表理事。NPO法人アスクネット創業者。学校と地域をつなぐキャリア教育の普及と、キャリア教育コーディネーターの仕事を提言し、仕組みをつくりだしてきた。現在は新しい時代の高卒就職「早活」と、働きながら学ぶキャリア「アプレンティスシップ」を推進。