先日、内閣府が6月に公表した「自殺対策白書」では、厚労省の「人口動態調査」を基に、子どもたちの自殺が9月1日に最も多いことを明らかにしました。夏休み明けと同時に死を選んでしまう傾向が強いという、痛ましい現実が注目を集めました。
子どもが「学校に行きたくない」と強く訴えかけてきたとき、大人はどのような対応をすれば良いのでしょうか?
「学校にどうしても通えないなら、それでいいのだよ。その先のことを考えよう」と寄り添い、苦しみを取り除いてきた先生が福岡にいます。福岡県福岡市で38年にわたる教員生活を送り、その間に立ち上げた『不登校支援の親の会』の活動をサポートし続けている元能古中学校校長の木村素也先生にお話を伺いました。
不登校生の保護者会「ぼちぼちの会」会長・元福岡市立能古中学校校長
福岡市立中学校の教員として学校に行けない生徒の進路や生活面の支援及び保護者の情報交流や支援の場作りを目指して活動。38年間にわたる教員生活を2014年3月に福岡市立能古中学校校長を最後に退職。現在、福岡市子ども総合相談センター嘱託相談員、太宰府市就学支援委員会副委員長、不登校生保護者の会「ぼちぼちの会」会長として、不登校生の保護者の会を中心に活動している。
福岡市でいくつも生まれた不登校の親の会。会同士がつながり、大きな輪になった
私は、2014年春に福岡市立能古中学校校長を退任するまで、38年間にわたって福岡市の公立中学校教員を務めてきました。その間、大切にしていたのが、そのとき一番困っている生徒や保護者に関わることでした。
退職から2年あまりが経過した現在も、相談員として、『不登校支援の親の会』サポーターとして、不登校の当事者や保護者の相談を受けている木村先生。不登校について意識するようになったきっかけは何だったのでしょうか?
35年ほど前、当時中学1年生の途中から行けなくなった生徒を2年生から担任しました。不登校ではなく、「登校拒否」と言われていた時代です。朝昼晩と毎日の家庭訪問からスタートしました。
はじめは掘りごたつや布団の中に丸くなって逃げ込まれていましたが、3か月目ぐらいから布団の中から手を出してトランプをするようになりました。そのうち言葉は交わさないがドライブにも行けるようになりました。
1年が経とうというころ、一緒に作っていた大型のプラモデルが完成すると、3年生の4月から登校するようになりました。3年生の1年間は何事もなく過ごし、公立高校に進学していきました。
その後、管理職として赴任した学校で、学校として家庭に組織的に関わるための『不登校生の保護者会』(ぼちぼちの会)(以下、『保護者会』)をスタート。保護者の本音に寄り添うことの必要性を感じ、その声を学校の中で生かすことに努めました。
不登校生の保護者はなかなか『本音を伝える』ことに躊躇されることが多く、本音で話ができることが保護者の会で大切なことです。上から指導するというスタイルでは長続きしませんね。
苦しいときは支援を受ける。楽になったら、支援する側へ
『保護者会』の具体的な役割とは、どのようなものなのでしょう?
中学校時代だけでなく小学・高校・大学を含めたライフステージを通した支援(自立と社会参加・支援される側から支援する側に)、校種間、学校間を越えた、地域と時間の枠を越えたものが必要だという思いが強くなりました。
自分の子どもが学校に通えないときはいろいろな形で支援を受けることが必要です。しかし、その問題が一段落すれば自分が支援を必要としている保護者に支援をしていく。その支援の輪が大切であることを知りました。これが『保護者会』の役割の一つだと思います。
子どもたち、当事者たちにとってもそうした関係性が必要でしょうか?
そうですね。かつてきつい思いをした子どもたちは、状況を乗り越えるにつれて、自分と同じような状態にいる後輩に対して支援をする立場に変わっていきました。お互いに自分の経験を伝えながら、光のないトンネルの中にいる後輩にたいまつの火を灯して進む方向を照らしてあげること。保護者や子どもに一つの成長モデルを示すこと。それが自分の力になることを知ることができました。
学校に通わないことで、先輩後輩の関係や、友人関係が築けないのではと心配する声もありそうです。
確かに学校での友人関係はつくれませんが、学校に行けなかったということを軸につながりが広がることもあります。一般に不登校というと何もできないと思われがちですが、学校に行きにくいということ以外はみんなそれぞれ素晴らしい能力を持っていますよ。自分の貴重な体験を他の子どもたちに生かしていくこと。そして、『保護者会』を軸に、人と人のつながりを結んでいくことの大切さを日々感じています。
「学校を休みたい」のよくある一言、どう答える?
学校を休みたい、と子どもが言ったとき、対応で何か気をつけなければならないことはあるのでしょうか?
ほとんどの子どもにとって学校は行くべきところであり、基本的に休むことの許されないところです。そしてこの考え方は、こどもにとって一番身近な大人。親や先生の考え方を反映しています。
元来、真面目で素直な子どもほど学校は行くべきところと思っています。その倫理観に反して『学校を休みたい』ということは結構勇気のいることなのです。したがって、勇気を振り絞って言った言葉がどのように取り扱われるのかは大変重要な意味を持っています。
『そんな弱いことでどうする』とか『怠け・さぼり』と言われて否定されれば居場所を失うと同時に受け入れてもらえない感が残り、行き場を失います。したがってまず共感的・肯定的にとらえてあげること。そして頭から否定せず、問い詰めず…。『休みたい』という子どもの心情に寄り添いながらその理由や感情を聞いてあげることです。
大人が落ち着いて対応することにより子どもも安心して話すことができるでしょう。まずは聞いてあげる方が、本人の味方であり安心できると感じられることが大切ですね。
とはいえ我が子のこととなると、つい将来のためと思って学校に行かせようとし、そのための声がけをしてしまう保護者は少なくないのではないでしょうか?
周囲から不安をあおられるような言葉を投げかけられれば、なおさら落ち込みます。
特に『勝手にしなさい』『自分で判断しなさい』『好きにしなさい』という言葉は、一見本人の意思を尊重しているようですが、本当に子どもを大切に思って言っているのでしょうか。本当に子どもがその言葉によってどう感じているのか。そういうことをしっかり見てほしい。判断してほしいのです。
もともと子どもは、まだ自分をうまく表現できないことが多いものです。言葉の裏にある気持ちを、ぜひ、しっかり聞いてほしいと困っている子どもの周囲にいる方々には望みます。
不登校支援・通信制高校紹介などの専門出版社。進学ガイドブック、単行本、フリーペーパー、専門誌などの出版、Webサイト「通信制高校があるじゃん!」などの運営、通信制高校・サポート校合同相談会、セミナー、講演会の主催しています。
不登校支援の輪をつなげよう!-「不登校生の保護者会」を通じて学んだこと
2014年3月に、福岡市立能古中学校校長を退任した著者、木村素也。38年にわたる教員生活は、不登校の子どもたちとその家族を支援するために多くの時間が費やされてきました。著者は、福岡で「不登校の保護者の会」を設立した人として知られています。子どもたちと同様に苦戦し、しかも孤立してしまいがちな不登校生の家族を励ましてきました。
本書では、元中学校校長の著者だから見える学校と家庭、親と子の適切な関係作りを示します。「スクールカウンセラーとの付き合い方」「医者に求めていいこと、求めてはいけないこと」など、不登校家庭の具体的な困りポイントを解決します!また、我が子を理解するために必要な大人の心構え、子どもとしっかりコミュニケーションを取るためのコツなどを掲載。