2014年7月26日に長崎県佐世保市で、高校一年生の女子生徒が友人を殺害し、被害者の遺体を切断するという耳を疑うような大変に痛ましい事件が起こりました。この事件は、各メディアでも大きく報じられ、毎日のように加害者の女子生徒に関する新しい情報が伝えられています。
この事件を聞いて、1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)を思い出された方も多いのではないでしょうか?
長崎市では、2003年7月に当時中学1年生だった男子生徒が幼児を連れ去り、殺害する事件が発生しています。また、翌年の2004年6月には、佐世保市では当時小学6年生であった女子児童が学校内で同級生をカッターナイフで切り付け、失血死させる事件も起きています。
長崎では、上記のような事件から命を大切にする教育に力を入れてきていました。「長崎っ子の心を見つめる教育週間」「いのちを見つめる強調月間」として、命の大切さや規範意識に関する授業を集中的に行う期間を設け、学校ごとに講話や授業参観、地域交流などを実施していました。
長崎だけではなく、文部科学省でも「児童生徒が、生命を大切にする心や他人を思いやる心、善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けること」を目指し、道徳教育にも力を入れてきています。
では、なぜ、子ども達のこのような痛ましい事件が繰り返されているのでしょうか?どうしたらこのような事件を未然に防ぐことができるのでしょうか?
結論から言えば、今の状態で学校教育だけがどんなに力を入れても子どもの道徳心を高めることには限界があります。一つは、座学中心の代理・間接体験を前提とした道徳教育であるため、二つ目に日本では子どもに対しての支援が完全に縦割り化しているためです。
有効的な道徳教育とは何か?
学校教育は、第一に児童・生徒に基礎的・応用的な学力を身につけさせる場であり、体系的かつ合理的に座学を中心とした指導を行います。子ども達が学校外で多くの時間を割いているのがテレビやゲーム、インターネット、塾などになります。
どれにも共通していえることは、情報から得られる代理・間接体験だと言うことです。いわゆる頭でっかちな状態になりやすいのです。
今の子ども達は、自分自身が体験する直接体験の機会が極めて少なくなってきています。代理・間接体験というのは、直接体験があってこそ理解が深まります。様々な自然に触れていない子が理科で出てくる自然科学を理解することは難しいということと同じです。
直接体験というのは、物事に対する体験だけでなく、人間関係においても同じことが言えます。
仲間との葛藤や喜びを経験していない子が道徳や国語で出てくる物語の登場人物の心情を理解できないのは当然です。高齢者と接する機会も乏しく、何かを教わった経験もないのに年長者を敬えとだけ言われても心に響かないでしょう。誰かに助けてもらったり、人を助けた経験がないのに、他人の立場になって物事を考えろと言われても同様です。
これまで繰り返し行われてきている体験活動に関する調査について、平成22年子ども・若者白書では下記のようにまとめています。
自然体験活動をする機会の多い子ども・若者は,道徳観や正義感,自律性や積極性や協調性が身に付いている者が多い(独立行政法人国立青少年教育振興機構『「青少年の自然体験活動等に関する実態調査」報告書・平成17年度調査』、『「青少年の体験活動等と自立に関する実態調査」報告書・平成18年度調査』)。また子どもの頃の体験が豊富な大人ほど,意欲や規範意識が高い人が多い傾向にある。
確かに家庭や学校での教育は、子どもの道徳心・道徳観を育むために重要です。しかしながら、二者だけに責任があるのではありません。上記のような体験活動を家庭や学校だけで行うことは困難です。「教育=学校」という学校万能主義的な発想がさらに事態を悪化させているようにも感じます。
地域組織やNPOなどの社会的なリソースを活用し、それぞれが役割を担っていく必要があります。学校教育の中で座学の道徳教育を行っていくよりもよっぽど効果的な方法が存在するのです。
日本の教育政策は、もっと調査研究で示されたエビデンスのある教育方法を活かしていくべきです。体験活動のような方法もあれば、世界で50万人を超える子どもが参加しているカナダ発のルーツ・オブ・エンパシー(Roots of Empathy)プログラムのような共感性を育むプログラムもあります。
週1回(40〜45分間)9ヵ月の間、このプログラムに参加した4〜14才の子供たちの間で仲間外しやいじめが90%減少するという調査結果が出ています。
様々な専門家が一つのチームになって子どもを支える
日本には子どもの成長を複数の専門家が一つのチームになって支える仕組みがありません。先生や親が孤軍奮闘しているのが実情です。他の専門家が入ったとしても多くは、縦割り的な情報の共有や対応しか行われていません。
海外では、ソーシャルワーカーやカウンセラー、療育指導員など子どもに関する専門家が横断的にチームを組んで問題を抱えている子どもに対して支援を行っていくのが一般的です。
佐世保高1女子生徒殺害事件でも学校、児童相談所、精神科医など複数の専門家が加害者のシグナルを認識していたにも関わらず、そのままの状態になっていたのは、正に縦割りの弊害が生んだ惨劇であったと言えます。
子ども達の状況というのは、単純に「Aである」というようなことではなく、問題が複合的であったり、グレーゾーンがあり、すべての枠組みに上手く当てはめて解決していくことは困難なのです。今回のように責任の所在もはっきりせず、専門家と専門家の間を次々に抜け落ちて最悪の結末を迎えるのです。
もう二度とこのような痛ましい事件にならないように、親や先生にだけ責任を押し付けたり、加害者を異常者として片づけてはいけません。子どもの成長を効果的な教育方法で役割分担しながら横断的に支える仕組みに変えていかなければならないと強く思います。
本記事は、岩切準が担当。Eduwell Journalでは、子どもや若者の支援に関する様々な情報を毎月ご紹介しています。子どもや若者の支援に関する教育や福祉などの各分野の実践家・専門家が記者となり、それぞれの現場から見えるリアルな状況や専門的な知見をお伝えしています。