大人の話に子どもは入ってはいけない?
子どもの頃、幼稚園のお迎えに来た母が、他のお母さんとおしゃべりをして途中で「しっ、子どもが聞いているから」と言って話題を変えた時のことが記憶に残っています。
大人になって就職した後も、こんなことがありました。
会社の人達とプライベートで旅行に行った時のこと。夕飯を終え、皆で談笑していたところ、ファミリーで参加していた小学生の男の子が会話に加わろうとしました。するとその子の父親が「大人の話に口を出すんじゃない」と言って、その子と他のきょうだいを隣の部屋に追いやったのです。
その後、そのお父さんが他の大人と話を続ける中、その方の奥さんはそっと隣の部屋に行き、子どもをなだめ、寝かしつけました。
どうしてあの時、子どもと大人、男性と女性、皆が一緒になっておしゃべりを楽しむことができなかったのだろうと、今でも思い出して残念な気持ちになります。
北欧の家族の「ヒュッゲ」な団欒
私は大阪外国語大学でデンマーク語と文学を専攻し、在学中にデンマークに1年間留学しました。留学中、デンマーク人の友人の家に遊びに行った時、目にした団欒は、私が知る日本のそれとは全く違ったヒュッゲ(心地よさ、ほっこりした暖かな雰囲気を表すデンマーク語)なものでした。
親と子どもが日常的なことだけでなく、政治や社会的なことまで対等に意見を交わしています。子どもの意見は拙い場合もありますが、分からないなら黙っていろと言われることはありません。
子どもに対して正直に心を開く
その後、私は北欧語の翻訳者になりましたが、毎日北欧の本を読み、子ども観の違いに驚かされるばかりです。例えば、『北欧式 眠くならない数学の本』の前書きで、スウェーデン人の作者は子どもの読者にこう語りかけます。
あなたは“数学ってつまらないし、難しい”って思ったことはありますか?“嫌い”“自分の生活には関係ない”って決めつけてはいませんか? 実はわたしも同じように考えていました。数学が何なのか、気づくまでは
このように北欧の作者は子どもと目線を合わせて、対等な立場で語りかけるのが上手な人が多いです。
勉強の本質的な面白さを伝える
作者は「実はわたしたちはみんな、数学者です」と言います。けんけんぱするのだって、刺繍や編み物をするのだって、松ぼっくりやひまわりのらせんの数を数えたりするのも数学のひとつで、数学は世の中のそこら中にあるものなのだ、と。
この本は、小学校高学年ぐらいから楽しめる本ですが、数学とは本質的に何なのかという哲学的なテーマについて、子ども向けの易しい言葉で見事に語っています。
例えば、作者は火と空気、水、土という4つの要素が規則正しく組み合わせることで世界はできている、だから自然界のあらゆるものに、規則性が見いだせるのだというプラトンの言葉を紹介した上で、数学は道具であり、また世界のどこに行っても通じる国際語でもあるとしています。
数学上の問題の多くは、遊びや空想の中で生みだされてきました。魔方陣は、中国の禹という名の巨体の皇帝が、亀の甲羅を見て思いついたという説があります。ほら、亀の背中の模様は、魔方陣に似ていませんか?
このように作者は学問というのは、日常生活や遊びの中から生まれたのだということを数学の歴史を紹介しながら、子ども達に伝えています。
勉強が将来の仕事にどう役に立つか
『北欧式 眠くならない数学の本』で作者は、天文学者、物理学者、エンジニア、生物学者、気象予報士、設計士などが仕事の中でどう数学を生かしているかを子ども達に伝えます。
北欧では就職活動の時に、大学で何を学んできたか、専門分野を持ち合わせているかを厳しく問われると友人から聞いたことがあります。また、大学は基本的には無料なので、仕事をしていて、もっと学びたいと思えば、大学にまた入り直して、そこで身につけた知識を復職後、仕事に生かすことができるようです。
子どもは大人のマネをします。学ばない親を見て、自分も学ぼうと思うでしょうか?学んだことを仕事に生かし、生涯、学び続ける大人を見て育った子は、勉強って面白そう、自分も学びたいと思うはずです。
クリエイティビティを育む教育
さらに作者は、数学の研究をすることで、空想を膨らませ、新たな概念や思考の骨組みをつくることができる、と言います。
クリエイティブという言葉を聞くと、つい画家やイラストレーター、作家、音楽家などを思い浮かべがちですが、数学者などの研究者、それにサラリーマンなど他の職業の人達も、クリエイティビティを働かせることによって、新たなアイディアを生みだすことができます。
小国ながら、NOKIA、IKEA、LEGO、Spotify、フライング タイガー コペンハーゲンなど国際競争力の高い企業が北欧に多くあるのは、このような教育の賜なのでしょう。
子どもも一緒にどうしたらよい社会になるか考える。
『北欧に学ぶ小さなフェミニストの本』の中で、10歳のスウェーデン人の女の子エッバが、新聞に載っていた国際会議の写真にスーツ姿のおじさんだらけなのに気づき、世の中の大事なことを決めるのに、女の人や子どもも加われば、よりよい決定がされて、世界がうんと面白くなる、と考えます。
エッバはさらにフェミニストのおばあちゃんやいとこや友だちとともに、なぜ、世の中はおじさんばかりに牛耳られているのか、歴史を振り返ることでその構造、原因を探ります。それからノルウェー人の政治家で心理学者のベリット・オースが提唱した、5つの支配の手口や手口に抗うための方法も学びます。
権力を疑う
日本の教育ではいまだに年配の人や権威を持っている人を敬い、その指示、意向に従うように教えられているように私には思えます。
ですがこの本の中では、例えば「権力って何だろう?」と権力の構造を紐解いた上で、権力を使って皆の役に立つ決定をすることもできれば、逆に権力を乱用し、民衆を押さえつけることだってできるのだ、と大人の社会にはびこる問題や欺瞞を子ども達にも包み隠さず見せるのです。
変わるべきなのは学校だけではなく社会も
先生から生徒への一方通行型の授業ではなく、子ども達が積極的に発言、参加するアクティブ・ラーニングが日本の教育にも必要だと盛んに議論されてきたように思えます。
ですが実際、今の日本の社会で、主体的な個人が活躍できるのでしょうか? うるさい奴だと足を引っ張る人はいないでしょうか? 主体的な個人を受け入れる度量が、権力者にあるでしょうか?社会のトップに立つ人達は、個人の声に十分耳を傾けようとしているでしょうか?
私が北欧の児童書が好きなのは、本音と建て前がないところ、それに子どもにこうしなさいと一方的な教訓、忠告をただ投げかけるのではなく、大人の社会はどうだろう、自分達は今のままで本当によいのだろうと、大人自身も自省するところです。
日本でも、子どもに積極的になれ、主体的になれと言うばかりではなく、大人が積極的に他者とコミュニケーションをとり、意見を交換し、主体的になれる社会を作るべきです。
私達大人は自分達のことは棚に上げて、子どもに理想を押しつけていないでしょうか?私には小学生の娘がおり、保護者の立場にありますが、つい学校や先生に様々な期待を寄せてしまいます。
でも変わるべきなのは、学校だけではなく、親、大人、社会もだと捉え、常に内省しながら生きていきたい――それが、私が北欧の子どもの本から学んだことです。
1980年、富山県生まれ。2003年、デンマーク教育大学児童文学センターに留学(学位未取得)。2005年、大阪外国語大学(現大阪大学) 卒業。 在学中の2005年に『ウッラの小さな抵抗』で翻訳者デビュー。主な訳書に、『キュッパのはくぶつかん』(福音館書店)、『カンヴァスの向う側』(評論社)、『自分で考えよう-世界を知るための哲学入門』(晶文社)などがある。