災害・復興支援自然体験プレイワーク

肩身の狭い思いをさせない!子どものための災害支援-「森のようちえん」や「プレーパーク」が支えたものとは?

安平町での冬のプレーパークの様子

2018年9月6日に、私たちが活動を展開する北海道胆振東部で、とても大きな地震が発生しました。一瞬にして山がなくなってしまうほどの強烈な地震です。

東日本大震災が「海の津波」だとしたら、胆振東部地震はさしずめ「山の津波」です。広大なエリアで地滑りが発生し、多くの家屋と、そして尊い命が犠牲となりました。

胆振東部に位置するむかわ町、厚真町、安平町。どの町も、普段から私どもが実施する子どもや保護者向けの活動を受け入れてくださっている地域です。お世話になっている方が大勢暮らしている場所や施設・フィールドが、実に様々な被害に見舞われました。

それに比べると、幸いにも、私たちスタッフが住む地域や拠点は大きな影響はありませんでしたので、地震翌日から支援活動を始めることにしました。

震災後1・2日目に行った「こども園」の後片付け(震災後1・2日目に行った「こども園」の後片付け)

ものすごいスピードで進むインフラ復旧

最初は、歪んだ施設やこども園の遊具の解体や片付け、水の運搬など、まさにマズローの5段階欲求説の一番下にある、生理的欲求を満たすような最低限のインフラ確保の手伝いをしました。また一方で、災害ボランティアセンターの立ち上げ支援など、このあと大挙して押し寄せてくるであろう全国からの支援活動の受け入れ準備を手伝いました。

事実、数日後にはものすごい規模の支援物資、そして、このような災害支援マネジメントにめっぽう強い専門家・プロボノが波のように押し寄せることとなり、ものすごいスピードでインフラ復旧が進みました。正直、このスピードには驚きました。これは、阪神淡路大震災以降、災害の多い日本に住む日本人が積み上げてきた素晴らしいノウハウなのだと思います。

・これまでの経験を生かし復旧復興を指南する、外部から来た専門家
・自身も被災しつつ、使命感を持って不休不眠で奔走する地元自治体の職員

この二つの主体が、お互いに敬意を持ちながらどんどんと進めていくそのスピード感や専門性に「すごいなあ」と目を奪われつつ、同時に、率直に感じていたのは、「ところで、子どもは・・・どこにいたらいいの?」という疑問でした。

ボランティアさんの中長期滞在をサポートするための自立式移動型Smart Volunteer Centerの準備の様子(ボランティアさんの中長期滞在をサポートするための自立式移動型Smart Volunteer Centerの準備の様子)

後回しにされる子どもの気持ちと居場所

災害が起きると子どもたちの居場所の一つである学校は、避難所となります。しばらくして、学校そのものは再開したとしても、それは「始めた!というだけで、普段通りになったわけではありません。

グラウンドは相変わらず自衛隊の車がいっぱいだったり、体育館には「避難者が住んでいるから静かにしなさい」と言われたりしてしまうのです。

また、学校以外の居場所も見てみると、児童館が遺体安置所になってしまったり、公園に避難所や仮設住宅が建ったり、子どもが遊ぶ芝生広場が自衛隊のヘリ発着所になったりします。

普段子どもたちが遊び、居場所にしていた場所が緊張感のある場所へ変わってしまい、そんな場所で走り回ろうものなら「うるさい!静かにしろ!」と叱られたりするわけです。

それらは仕方がないことです。実際、「それどころじゃないだろ」と言われたりしたのですが、子どもの立場から見れば、子どもの気持ちや自分の居場所が「後回し」にされていることは、間違いのないことです。

厚真町に設けたプレーパーク「ハッピースターランド」の様子(厚真町に設けたプレーパーク「ハッピースターランド」の様子)

「森のようちえん」の手法を生かした「プレーパーク」

そこで私たちは、道内にいる自然体験活動指導者あるいはアウトドアガイドなどの仲間と一緒に、「森のようちえん手法を生かしたプレーパーク」を避難所近くの緑地に設けました。

「冒険遊び場」と訳されるプレーパーク。遊具はないが一緒に遊んでくれるお兄さんお姉さん(プレーリーダーと呼ばれます)がいて、その辺にあるものを使って「自分の責任で自由に遊ぶ」という遊び場です。

それは小学生以上の遊び場というイメージがやや強かったのですが、幼児とその保護者も出入りできるような声かけを行いました。つまり、「森のようちえん」が積み上げてきた、幼児とその保護者による自然体験活動の手法を取り入れたのです。

例えば、復旧活動のため、いつ帰ってくるかわからないお父さんを待ちつつ、余震に怯えながら幼児を抱きかかえているお母さん。あるいは、あるいは騒がしい子どもを抱え、避難所で肩身の狭い思いをしているお母さん。

そんな方々が、子どもたちを少しプレーリーダーに任せ、思いっきり遊ぶ様子を見守りつつ、時にはよその子の面倒も見つつ、焚き火で沸かしたコーヒーを飲みながら、お母さん同士でおしゃべりに花を咲かす・・・。そんな場と機会を作り続けました。

安平町での冬のプレーパークの様子(安平町での冬のプレーパークの様子)

様々な出会いと交流を引き起こすきっかけに

この活動、誰かに許認可を得て始めたわけではなく、いわば勝手に始めたものです。なので、コーヒーを出すにしても「衛生管理に問題があるからやめろ」とか、焚き火をおこすにしても「許可は取っていないからダメだ」などと、色々と言われることを覚悟しての取り組みでした(実際、色々な人にいろいろ言われました)。

その点においては、関係する皆様には本当にご心配とご迷惑をおかけしてしまい、申し訳なく思っているのですが、しかしこのアクションは、現地のニーズにしっかりと応えた、とても有意義なものであったと考えています。

子どもや幼児に限定せず、地域の大人も入り込めるようにしたこと。地元の人たちが主体になってマネジメントをしたこと。

そして、地域内の人だけで抱え込むのではなく、地域外の人々も適宜プレーリーダーとして入り込むことができるようにしたことが、様々な出会いと交流を引き起こすきっかけとなりました。

「余震が心配だから」「迷惑かけちゃいけないから」。そう感じて自宅から出てこない子育て中の親子に、「面白そうだから行ってみよう」「地域の○○さんがやってるから安心」と思わせることができたと感じています。

安平町での冬のプレーパークの様子(東日本大震災の際に支援を受けた福島の子どもたちが大きくなり、今度は北海道へ恩返しに来てくれました)

日々の暮らしの中で必要な「子どもの居場所」

私は、大震災という危機的状況の中、子どもはもちろん、地域の人々の心を救ったのは「森のようちえん」「プレーパーク」であると、強く信じています。これらの活動は、社会の課題が浮き彫りになりやすい有事の際であるからこそ、その課題解決に寄与する方法であると確信できます。

しかし、災害があったからその有用性が認められただけで、普段はそのような活動は不要か、と言うと、そうは思いません。

安平町での冬のプレーパークの様子(安平町での冬のプレーパークの様子)

普段から、日々の暮らしの中に「森のようちえん」あるいは「プレーパーク」的な活動やコミュニティがあれば、有事の際であっても、色々な人にとやかく言われることなく、もっとスマートに素早く子どもの居場所を確保することができるでしょう。

各地において、普段からその場の暮らしにあった「森のようちえん」「プレーパーク」的な活動が展開されるべきである、と被災した側として強く思っています。

そして、これらの活動を、単なる「子どものため」「教育手法の一環」など一面的な効果だけで評価するのではなく、コミュニティの再生、ツーリズムの促進、あるいは移住定住促進、遊休地の利活用といったところにまで視野を広げ、多面的な機能や効果があることを認識するべきです。

つまり、公共性が高いだけに自立的な運営は難しい分野でもあるので、「行政をはじめ様々な立場から支えられる活動であって欲しい」と強く思います。

Author:上田融
NPO法人いぶり自然学校・代表理事。昭和48年生まれ。平成8年より北海道の小学校で6年間勤務。平成14年より4年間、登別市教育委員会社会教育グループで社会教育主事として、ふぉれすと鉱山の運営に携わる。平成18年よりNPO法人ねおすの活動へ参画し、道内各地の自治体と協働し、第一次産業の取り組みを子どもたちに体験的に伝え、学ばせるプログラム開発および協議体の設立に関わる。平成20年より苫東・和みの森運営協議会副会長。平成27年より現職。プロジェクト・ワイルドファシリテーター、小学校教諭1種、幼稚園教諭1種等の資格を持つ。

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