「森のようちえん」という言葉があることをご存知でしょうか?子どものための自然体験活動を指し示す言葉はたくさんあるのですが、これは主に幼児向けの自然体験活動の総称で、特に幼児が、森林にこだわらず川や海、里山や都市公園も含めた屋外の自然景観の中で活動することを推進するための旗印・スローガンとして作られた言葉です。
また、「幼稚園」ではなく「ようちえん」とひらがなで表記することで、子育てサークルや託児所、あるいは週末の幼児向けイベントなど、概ね0歳から7歳ぐらいまでの子どもたちが多く集まる団体や仕組みが屋外に子どもを連れ出していけるよう、幅をもたせたイメージを持てる工夫をしています。
北欧が発祥!日本でも広がる「森のようちえん」
もともとは1950年代にデンマークの母親が「園舎を持たず、幼児を毎日森に連れて行く幼稚園」を始めたのがきっかけです。
それがドイツをはじめ主に北欧を中心に広がり、日本にもその手法をまとめた本が翻訳されたり、視察研修が民間レベル・草の根活動として地道に展開されたのち、2004年に「第1回森のようちえん全国フォーラム」が宮城県で開催されたことをきっかけにして、日本国内にもその言葉が浸透するようになってきました。
思い起こせば、ちょうど10数年前に、「食育」「木育」あるいは「フリースクール」「プレーパーク」という言葉が世間で広がりを持ち始めたのですが、「森のようちえん」という言葉が広がり始めたのも同時期でした。
教育という言葉が、それまではなんとなく小学生以上の学齢期を対象にしていたイメージがあったのですが、そうも言っていられなくなった子ども達の課題を解決する方法として期待を込められているのかもしれません。
(「森のようちえん」には、既成品の玩具・遊具などはなく、自然とふれあいながら子どもが自由に遊べることを大切にしている)
「森のようちえん」という活動を展開する方法は、色々とあります。
自主保育、あるいは認可外保育の位置で、つまりは自分で子どもを集め、保護者から保育料を預かって毎日幼児を森に連れて行くという活動から、週末や長期休業を活用したイベント型、子育て中の母親が数人集まって近所の森林に連れて行くような小さな活動、既存の幼稚園や保育園へ積極的に自然体験活動を取り入れ、園で森を借りたり、園バスで毎週森に出かけていくやり方など、それぞれの主体が工夫しながら森のようちえんを取り入れています。
どの活動にも概ね共通するのは、「民間レベル」の活動ということなのですが、最近は一部の都道府県において、その活動を補助したり、認証を与えるなど、行政もその有用性を評価し始め、バックアップが得られるようになってきました。
幼児が遊べば遊ぶほど、森の手入れがされる
私どもの「いぶり自然学校」(北海道苫小牧市)でも、ささやかながら森のようちえんを取り入れた活動をやっていますが、私たちのアプローチは他団体と少し雰囲気が違い、森のようちえんの「森」側からアプローチをしているのが特徴です。
(牧場のお母さんが、林道や牧草地に落ちているエゾシカの角を集めたものを子ども達にプレゼント。トラクターのタイヤがパンクしないように拾うのだそうだ。)
ある時、諸般の事情により整備放棄されてしまった広大な森の整備を任されることになり、はてさて森林の専門家ではない私に一体何ができるのだ、そもそもこの広大な森の手入れを一人でやること自体無理だと思い、いわゆる「森林ボランティア」と呼ばれる人たちに声をかけてはみたのですが、いまいち上手くいかない現状がありました。
しかし、整備の手法をよくよく調べてみると、意外と初心者や子ども達でも関わることができるものが幾つかあることがわかりました。
そこで、週末のイベントとして、その森で「森のようちえん」を実施しつつ、子ども達にはもちろん、そこに来る保護者の方にも整備を手伝ってもらおうというヨコシマなことをやってみたら、意外にその手法が良い方向に回ることとなりました。
(森の中には発見がいっぱいで、子どもたちは様々な遊びを作り出していきます)
そこに集った保護者同士が意気投合して新たな団体が生まれたり、その保護者の中から当方のスタッフが生まれたり、森の整備から出る林産物(薪など)を活用したちょっとしたスモールビジネスが生まれたりと、おもしろい現象が見られるようになってきました。
もちろん、子ども達は森の中で好き勝手に遊びます。特に幼児は、全員で何かに一斉に取り組んだり、例えばスキーの技能習得など目的を果たすような活動ではなく、自分の中から生まれた興味関心にひたすら忠実となり、「没頭」することが重要であると言われていますし、そのシーンを作り出すのが私たちの仕事です。そして、そのための刺激がふんだんにあるのが「森」だと思います。
(子どもたちにとっての楽しい遊びが森林の整備につながっている)
その日一日、半径5メートル以上動くことなくひたすら枯れ枝を燃やし続けたり、「薪割り」という遊びに没頭したり、「秘密基地作りだ」といって森の中の枯れ木をどんどん運び出して柱にしたり、そんなことをして森の中を走り回ったり、森のあちこちにブランコを作って遊ぶことにより下草の生育が抑えられる、つまり化石燃料を燃やして草刈りをしなくてもよくなったりと、「幼児が遊べば遊ぶほど、森の手入れがされていく」という状況が生まれました。
森に来る子どもたちは、それぞれがまとまりなくその辺一帯でわらわらと遊んでいるだけです。一見ばらばらに見える活動なのですが、その全ては「森の整備」へとつながっているわけで、大人が腰を痛めながら木を引きずり出したり、薪を割ったりしなくても済んでしまうのです。なので、私たち大人は帰りがけに「遊んでくれて本当にありがとう」と心から子どもに感謝し、深々と頭を下げます。
「単なる幼児向けの自然体験活動」の枠に収まらない様々な可能性
私たちにとって「森のようちえん」とは、幼児にとっても、森にとっても良いもの・有用であるべきであり、それ以上に、保護者の方々の社会参画が促されるチャンスでありたいと考えています。
特に日本における母親は、それまでいくらすごい仕事をしていたとしても、結婚をして子どもが生まれたら、半ば強制的に家庭に入り込まねばならないという現状があります。
そんな「独身時代に培った営業能力、パソコンの技術、ネットワークを生かしたい」「でも、子どもがいるから」という思いを「子育てと環境保全」というキーワードで社会復帰を果たし、森という自身にとって理想的な子育ての場、あるいはコミュニティ、あるいは多少の収入を作っていく場と機会としても、「森のようちえん」は価値があるように感じています。
(絵本の「もりのかくれんぼう」を読んでから、実際の森へ向かいます)
そういう意味では、今、増え続けている「森のようちえんをやりたい」「森のようちえんで働きたい」という人にとっては、単なる幼児向けの自然体験活動の指導スキルだけではなく、保護者の自己実現や舞台となる自然景観に対するマネジメント能力・コーディネート能力が必要なのかもしれません。
いずれにしても、この「森のようちえん」という言葉には、「単なる幼児向けの自然体験活動」という枠に収まらない様々な可能性があり、今後様々な課題を解決する良いキーワードになり得ると思います。それだけに、言葉を一人歩きさせることがないよう、私も実践者の一人として精進していきたいと考えています。
Author:上田融
NPO法人いぶり自然学校・代表理事。昭和48年生まれ。平成8年より北海道の小学校で6年間勤務。平成14年より4年間、登別市教育委員会社会教育グループで社会教育主事として、ふぉれすと鉱山の運営に携わる。平成18年よりNPO法人ねおすの活動へ参画し、道内各地の自治体と協働し、第一次産業の取り組みを子どもたちに体験的に伝え、学ばせるプログラム開発および協議体の設立に関わる。平成20年より苫東・和みの森運営協議会副会長。平成27年より現職。プロジェクト・ワイルドファシリテーター、小学校教諭1種、幼稚園教諭1種等の資格を持つ。