社会的養護

児童養護施設で育ったボクが社会に巣立つ前に伝えておきたいこと-なぜ、多くの子どもたちが支援からこぼれ落ちていくのか?

久波孝典(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン・学生インターン/公益財団法人子どもの貧困対策センターあすのば・理事)

久波孝典(くばたかのり)と申します。私は小学5年生から高校卒業するまでを児童養護施設で過ごし、現在は奨学金を頂いて夜間の大学に通っています。

育った環境によって、自分のように精神的・経済的に苦しい思いをしている子どもを一人でも少なくしたいと考え、公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」で学生インターンを、公益財団法人「あすのば」で理事を務めています。たくさんの支援者の皆さんに手助けを頂いたおかげで、今年の3月に大学を卒業し、4月から晴れて社会人となることができます。

今回は、社会に巣立つ前に、児童養護施設の子どもたちのことについて皆様にお伝えしたいことがあり、社会的養護を受けて育った当事者として、そして、精神的・経済的に厳しい環境に育つ子どもたちの支援者として、学生生活の最後に執筆をしています。

支援の活用の有無で二極化する子どもたち

近年、「子どもの貧困」や社会的養護の問題が社会にも大きく取り上げられ、その認知が進むとともに、そうした子どもたちに対する支援も増えてきています。食料品などの生活必需品の支援だけでなく、将来のことを見据えた進学や就職に関する支援もあり、日常生活を支える内容だけでなく、自らの夢を叶える手段や機会も少しずつ整えられてきているように感じています。

しかしながら、こうした支援を活用する子どもはごく一部であります。それは、支援の定員などの物理的な問題もありますが、そもそも何らかの目標を持って支援を活用しようとする子どもが少ないためでもあります。支援を活用する子どもと、そうでない子との差も二極化している構造が段々と顕著になっています。

優先される日常のケアと後回しになる将来の進路

前提として、様々な家庭の事情によって深い傷を負って、養護施設にやってくる子どもたちは、「夢や目標を立てて努力する」という発想が乏しい状況にあります。

例えば、私は、高校三年生の進路を選択する時期に「自分が何をしたいのか?」だけではなく、「自分に何ができるのか?」を全くイメージできませんでした。そのため、将来への意欲をなくし、全く先行きを考えることもできずに高校を卒業し、18歳の年齢上限で施設を退所しました。

このような状況では、目標を達成するための手段として提供されている、進学や就職の支援を活用する発想すらありませんでした。日常や将来に対する不安や焦りからネガティブスパイラルに陥り、たとえ世の中に有益な支援があったとしても、そこまで頭がまわらない状況になってしまいます。

養護施設職員は、何らかの事情を抱えて入ってくる子どもたちに対して、日常的なケアを最優先に関わっており、どうしても将来について考える機会は後回しになってしまいます。また、日頃から施設では子ども自身の主体性や意志を尊重しており、本人から「あれをやりたい」というような要望などがなければ、職員から将来に対して意図的な働きかけがし難い状況でもあります。

積極的に動く子どもたちは、様々な支援を活用していくことができるものの、そうでない子どもたちは取り残されていくという二極化した状態が起こってしまうのです。施設職員も、子どもたちの段階に応じた支援に終始するため、自分で前に踏み出せない子は、とことん取り残されてしまう状況にもなっています。

後回しになる将来の進路

支援の手からこぼれ落ちていく子どもたちがいる

こうした状態は、必ずしも支援の内容がミスマッチで、実態と噛み合っていないことだけを示しているという訳ではありません。

進学や就職への支援が増えていくことで、一般家庭から遅れている状況が以前よりも改善につながっていることは間違いありません。他でもない私自身も、奨学金のおかげで大学に進学することができました。そうした支援によって一歩前に踏み出すことが出来た子どもたちにとっては、願ってもない支援であることは言うまでもありません。

ここで指摘しておきたいのは、現在の支援状態のままでは、一部の元々頑張ろうとしていた子どもたちだけが支援を手にすることができ、そうでない多くの子どもたちは支援の手からこぼれて落ちていってしまう危険性があるということです。この状況は、自己責任という言葉だけで片付けられる話ではないように思います。

ではどうして、多くの子どもたちがこうした支援を活用していないのでしょうか?その理由は大きく分けて二つあります。

「どうせ施設育ちだから」という呪縛

一つは、これまでに経済的・時間的な制約などから様々なことを諦めてきた経験から、自らの可能性を限定してしまい、そもそも目標を持てない状態となっていることが挙げられます。

施設の子どもたちは、「どうせ施設育ちだから」という諦めを頭のどこかで繰り返しつぶやいています。施設の子どもたちは、将来のキャリア観が十分に備わっておらず、「自分が何をしたいのか」ではなく、自らの置かれている状況と制約を第一に考えて、「消極的な選択」をする傾向があります。

そのため、将来への原動力となることはなく、さらなる意欲の低下を招く要因にもなっています。目標がなければ、先に挙げた以前の私のように、そうした支援を活用する必要性もなく、「どうせ施設育ちだから」と自分の生まれ育った環境を悔やみながら生きていくだけになってしまうのです。

yes or no

ロールモデルとなる様々な大人の存在

もう一つは、施設の子どもたちは、地域や社会との関わりが少ないことから、ロールモデルとなる大人と関われる機会が極端に少ないことです。

そのため、様々な職業を知る機会もないため、何がやりたいことなのか、適性がどうなのかを検討するきっかけすらない状況にあります。一般家庭の子どもたちは、様々な職業などの情報を得ていく中で、自分の興味を持っていることや、身近な大人などのロールモデルから得られた情報を元に色々な媒体を調べ、将来のイメージを膨らませていくと思います。

しかし、施設の子どもたちは、このイメージを膨らませる上で欠かせない情報が得られにくい状況となってしまっています。

ロールモデルとなる大人とのつながりがなければ、そうしたことを考えるきっかけすらつかめずに、いつの間にか施設を出る年齢となり、前述の「消極的選択」で乗り切ろうとするのです。

こうした話は、一般家庭の子どもにも共通している部分があるかもしれませんが、教育の担い手がいない児童養護施設では、このような状態に極めて陥りやすい傾向にあります。このような将来について考える源泉とも言える、社会関係資本を育む環境の差に関してはあまり問題視されず、支援を活用していない子に対する自己責任論で終わってしまっているのではないでしょうか?

子どもたちは、将来を思い描くための情報に、数多く接することでそのイメージを強化できます。また、一人ひとりの子どもたちにとって、「作ることが好き」「教えることが好き」など、何が響くのかも違います。

そのため、子どもたちが理想の将来像を描けるようになるには、周囲の大人たちという様々なロールモデルが必要不可欠なのです。そうした積み重ねが、子どもたちが「主体的に未来を生きよう」とする意志を育んでいくのだと思います。

こうしてこの文章を読んでくださっているみなさんには、そうした情報を子どもたちに提供できる大人であってほしいと思っています。

必ずしも「支援が使われない=不要」ではない

様々な支援の手が差し伸べられつつある中で、そのどれもが有効に使われるためには、子どもたちの根本的な状況を今一度考えていく必要があります。

こうした善意で成り立っている支援が、効果的に使われないことによって、あたかも不必要なもののように扱われ、選択肢が減ってしまうといった悲しい結末が生じないことを切に願っています。

私自身4月から社会人となり、これまで皆さんからご支援を頂いた恩を次の子どもたちに返していくことができるようにしっかりと頑張っていきたいと思います。

Author:久波孝典
公益財団法人子どもの貧困対策センターあすのば・理事、公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン・学生インターン
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