「世界一子どもが育つまち」を掲げている秋田県の五城目町(ごじょうめまち)で、2020年4月より議員として活動されている松浦真さん。
松浦さんは、ミニフューチャーシティ事業(子どもによるまちづくりワークショップ)とハイブリッドスクーリング事業(学校のシステムが合わない子どもたち向けの学び方開発)を軸に据え、2007年~2019年の12年間に渡ってNPO法人cobonの代表理事を務め、2016年からは合同会社G-experienceの運営をされています。
「議員になる」という選択肢は、一般市民にとってはどこか遠くの世界のことのように感じられます。そもそも、職業としての選択肢に入ることが少ないかもしれません。
NPO業界から議員へ。全く異なるフィールドへのチャレンジですが、迷いや不安はなかったのでしょうか。また、どのような想いがあったのでしょうか。
松浦さんへインタビューを行ない、胸の内をお聞かせいただきました。
大阪府出身。2007年にNPO法人cobonを設立し、関西を中心に「こどものまち」事業やアーティストの交流事業を展開。2016年4月に2人の子どもと共に五城目町に移住し、合同会社G-experienceを設立。2020年4月より、秋田県五城目町議会議員。
-松浦さんはどのような経緯で「議員になろう!」と考えられたのでしょうか?
cobonというNPO法人で、2007年からキャリア教育の事業などを活動してきました。
その際に、各地の行政と共同して事業を行う機会が多くあり、その中で、こどもの社会参画につながるアドボカシーなどを行ってきました。
行政の社会教育事業の担当者の方に、予算執行に向けて財政局と交渉していただいたり、ルールが担当者によって変わらないよう条例に入れてもらえないかと働きかけたりと、色々と工夫してきました。
社会教育の担当者が異動などで変わると、それまで積み上げてきた関係性がゼロに戻ってしまいます。教育は、結果が出るのに10年20年かかります。3年で担当者が変わるごとに施策も変わってしまうと、子どもたちは振り回されてしまう。
考えや事業を守っていくためには、どうすればいいかと考えた時に、議会によって中長期に決めていくというプロセスに目を改めて向けました。
また、大阪で自分の子どもが学校の仕組みに合わなくなった時に、当時通っていた学校の教頭に「学校に行かずにホームスクーリングします。」と伝えたところ、「ホームスクーリングを許可すると他の200を超える小学校も同じ対応をしないといけなくなるので、お気持ちは分かりますが許可できません。」と返事がありました。
当時は、教育機会確保法もまだ制定されていないタイミングだったので、それが通常の対応だったのだと思いますが、横ならび型の教育システムに違和感を覚えたのも、議員に目を向けるきっかけにつながりました。
そこで、もっと小さな自治単位で、都市部の横並びの視点をもっていない自治体で、残りの人生の時間を使った方がいいのではないかと考えるようになりました。
(NPO法人cobonが2015年に取り組んだ「ミニ・カンサイ」の募集チラシ)
-大阪から秋田の五城目町へ移住し、すぐに議員になられたわけではないと思いますが、「議員になろう」と決断されるまでの経緯を教えてもらえますか?
正直、はじめは議員になるつもりはなかったです。まずは住んで慣れることで精いっぱいでした。
学校のシステムが合わないので、地域の暮らしを大切にしながら学びます、という姿勢を、五城目の小学校や教育委員会は理解を示してくださって、応援してもらえました。
私は大阪に住んでいた時から、学校と関わるキャリア教育を事業として行なっており、学校に出向く機会も多かったんですね。
なので教育委員会や学校現場、主任教員の事情など色々なことを知っており、どういうロジックで学校教育が成り立っているのかを把握していました。
しかし、学校が合わないお子さんが同じ五城目町内にいても、親の伝え方次第で「教育委員会としては学校に行かないことはおすすめできない」と言われてしまったりするわけです。
困っている人の伝え方と担当者によって、学校以外の学びや、ipadを使ってテストを受けていいかどうかなどの合理的配慮がOKになったり、NGになったりする状況では、Aさんが担当であればいいけど、Bさんであればダメ、というケースも出てきてしまいます。
-人によらない、共通のルールのようなものが必要だと。
そうですね。行政の中で一定のルールをつくっていくためにも、誰か議員になってくれないかな…と思っていました。
地方の自治体は、都市部に比べると議員条例の件数などが少ない部分はあります。「学校が合わない子ども一人ひとりに、学びの保障を」と訴えても、なかなか理解してもらいにくい。
だから、そういったことを議会で発言してくれる若手の議員の人がいないかなと、子育て中の人から議員が出たらいいなと、1年くらい周囲に「やりませんか?」と言ってまわっていました。
でも、「それって誰か頼みじゃないか?」と気づいたのです。そもそも、人に聞いてまわっている自分がなるべきじゃないかと。気がついた人が動くのが民主主義ですから。
(松浦さんとそのご家族)
-誰もやらないなら自分がやる。その行動力はすごいと思います。チャレンジすることへの不安はなかったですか?
もちろん、選挙は落ちる可能性もあるので、そういった意味での不安はありました。いわゆる地盤(勢力・組織)・看板(評判・知名度)・鞄(資金力)の「三バン」が全くない状況です。
ただ逆にしがらみがないので、新しい風を町に送り込むことができるのではないか、とも考えました。ダメでも、学んだことを次に活かせばいいと。
私が移住した際はちょうど選挙が終わったばかりで、それから4年経ち、この町でお世話になったことを踏まえて何かできないかと考えていた時でした。
-ちなみに地方議員は兼業議員も多くいますが、そういった点も議員になることを後押ししたのでしょうか?
それはあります。議員の給与金額は都市部に比べると少ないので、それだけで食べていくことは難しいです。農業をやりながら議員をやっている人もいます。
どちらかがメイン、どちらかがサブではなく、自分の仕事と議員活動どちらも大事にしていくこともできると思います。
これからの社会に向けて、複数の仕事を同時並行させていく働き方が、地方だとしやすい部分もあります。政治の世界100%じゃないからこそ、出せる言葉もありますし。
(五城目城で行った「キッズクリエイティブマーケット」の様子)
-五城目町で生まれ育ったわけではない松浦さんが議員として立候補することに対して、町の人たちはどのような反応でしたか?
「若いから応援してるよ」という声もありましたが、やはり「松浦という名前ははじめて聞いた」という感想が多くありました。
そこで、五城目町に住むいろんな方とお話しながら町について一緒に考える時間を持ちました。
こうやって町民とダイレクトにつながるのは大都市だと難しいですが、五城目町だと9,000人弱なのである程度可能です。
(初めての選挙活動中の様子)
-実際に議員になってみて、NPOでの経験を踏まえて感じることって何かありますか?
アドボカシーのルートが一つ増えたな、という感覚です。
議員であれば「変わらない」というパラダイムを外していく動きをしやすい。小さな町議会の議員ですが、国に意見書を出すこともできます。
もちろんなかなか変わらないこともあると思いますが、ボールを投げられる状態になったことは前向きに捉えています。
今後も、ボールを投げ続けていけたらいいなと思ってます。
-松浦さん、ありがとうございました。後編の記事では、選挙期間中の話や、議員としての仕事について、詳しくお話を伺っていきたいと思います。
Author:Eduwell Journal 編集部
本記事は、山田友紀子が担当。Eduwell Journalでは、子どもや若者の支援に関する様々な情報をご紹介しています。子どもや若者の支援に関する教育や福祉などの各分野の実践家・専門家が記者となり、それぞれの現場から見えるリアルな状況や専門的な知見をお伝えしています。