(荒井和樹さん:社会福祉法人恩賜財団済生会)
支援が集中する児童養護施設
大学卒業後、児童養護施設に就職しました。毎朝、入所している子どもたちを起こし、登校時間に間に合うように準備を促します。帰宅後は宿題をみたり、夕飯ぎりぎりの時間までスポーツをしたり、他の先生(職員)に見つかって、一緒に叱られることもしばしば。施設職員は入所児童と直接的にかかわる機会が多く、とてもやりがいのある仕事でした。
ある日、施設職員として働きながら「もったいない」と感じたことがありました。団体や個人から、たくさんの寄付や支援が届くのですが、それは消費しきれず余ってしまうほどの量でした。夏休み、冬休みも招待行事で長期休暇の予定がすべて埋まるほどです。招待行事を受けたら、子どもたちがお礼状を書くという慣習があるのですが、「そんなの行きたくない!」「なんでお礼状書かないとあかんの?意味わからん!」という怒りの声が続出します。複雑な気持ちになり、戸惑いました。
ところが、テレビドラマの放送や報道なども後押しして、さらに施設で暮らす子どもの存在が世間に広く認知されるようになりました。施設や入所児童に注目と支援が集まる一方で、「入所児童や要保護児童など、児童福祉の対象とされる子どもばかりに支援が重複しているのではないか?」と考えるようになりました。
(荒井さんが児童養護施設で働いていた時の様子)
教室からいなくなった生徒たちの行方
徐々に日本の児童福祉に疑問を持つようになりました。そのきっかけは、授業参観でした。施設職員は学校行事に保護者として参加する機会があります。
例えば、入学式や運動会、三者面談などです。部活動の送迎などもします。特に印象的だったのが、高校の授業参観です。高校の授業参観に20代前半の保護者が参加することは、ほとんどないといえるでしょう。そのため、私が教室に入るだけで生徒はざわめきます。今でも鮮明に覚えているのですが、授業中も騒ぎが収まらず、担任の先生を困らせてしまいました。私は教室に混乱を招いた責任から、終始うつむいていました。ところが、生徒たちは何度も後ろを振り返り、身振り手振りしながら、気にかけてくれます。
私は授業参観などの学校訪問を通して、次第に一般家庭で暮らす子どもたちとも知り合う機会が増えていきました。
一年後、再び高校の授業参観がありました。昨年と同じように学校へ向かうと、廊下も教室も驚くほど静かです。以前とは明らかに違う様子で、恐る恐る教室に入ると、半数以上が空席になっていました。顔見知りになった生徒たちの姿もありません。生徒は約半分ほどに減っていたのです。いなくなった生徒たちは、いったいどこへ行ってしまったのでしょうか?帰宅後、入所児童のAくんにたずねました。すると、「あいつら?退学したよ」とA君は教えてくれました。
教室からいなくなった生徒たち。喫煙や深夜徘徊、暴走・暴力行為、妊娠などが退学の理由でした。かれらは担任とのつながりも切れてしまい、退学を機に「家族との関係も悪くなった」とのこと。A君は「あいつらと繋がっているのは、俺くらいだと思うよ!」と言います。退学後は、クラブDJ、ホストやキャバクラなどの水商売、風俗店で稼いだり、売春や詐欺などの違法行為で生計を立てていたようです。私は、行方が分からなくなった生徒が気になりました。
(NPO法人全国こども福祉センター:名古屋の風俗店付近の様子)
繁華街でのフィールドワークからわかった現状
施設職員を続けながら、福祉専門職として何かできないかと模索を始めます。わたしは、休日を活用して、繁華街や若者が集まるクラブに出向いたり、ホストで一日体験をしたりと、フィールドワークを始めます。実際にやってみないと分からないこと、当事者としての立場にならないと見えないことがあると思ったからです。もちろん、業界未経験のため、好奇心も理由の一つでした。
ホストとして採用されると、新人ホストは先輩の指示に従い、街に出たり、SNS等を活用したりしながら、とにかく勧誘行為に力を注ぎます。お客さんが店に来てくれないと、指名もつかないし、店の経営も成り立たないからです。同業分野のお店に飲みに行くことも営業や宣伝活動の一つです。
また、基本的にホストは集団(チーム)で動くため、同僚との人間関係が重要です。少しでも仕事を覚えようと同僚の話を聞いていると、犯罪歴や非行歴を武勇伝のように語る若者や、10代のホストも在籍していることがわかりました。先輩ホストは、「10代のうちに知り合い、関係性を築いておくことが大事だ」と主張します。
実際に働いてみると驚愕な事実と向き合うことになります。同僚・客かまわず記憶を失い、倒れるまで酒を飲ませる。ミスをしたら顔の原型がわからなくなるまで殴る。接客中に同僚の財布から現金を抜き取る。罰金や給料未払いは当たり前。飲酒強要や飲酒運転も当たり前。女(客)を妊娠させたら、腹を殴っておろさせる。他にも犯罪や暴力と思われるような行為も日常的に行われており、悪しき文化が蔓延していました。もちろん、全てのお店がそのような状況ということではなく、クリーンな営業をしているお店もあります。
一方で集客や店舗の宣伝を目的とした動画編集やプロモーションに力を入れていたのも印象的でした。常に店内は流行りのBGMが流されており、従業員(ホスト)のプロモーション動画も流れていました。また、店舗や所属ホストの存在を知ってもらうため、多額の広告費用をかけ大手比較サイトや雑誌掲載に力を注ぎ、日記やブログの更新も欠かさず行っていました。
また、繁華街に出向き若者に声をかける、同時にSNS上での声かけ・スカウト行為も人数をかけて、毎日欠かさず行っています。知ってもらい、足を運んでもらうための工夫が随所に仕掛けられていたのです。
援助機関の存在を知ってもらうためのアウトリーチ
私は、子どもや若者が集まる場所に足を運びながら、「なぜ、ここで教育や福祉の専門職が活動しないのだろう?」と思いました。繁華街やSNSを通しての勧誘行為は、現在も行われています。主要なターゲットは児童養護施設の在籍者や不登校、高校を中退した10代といいます。
欧米では援助機関を利用しない若者を対象として、街中やカフェなどで直接接触する「アウトリーチ」を専門とするスタッフを配置しています。援助機関の存在を知ってもらうには、援助者側から若者と出会い、信頼関係を構築する必要があるからです。
日本でも医療や介護が必要な高齢者や、不登校やひきこもり、心に不安や障害を抱えた方、妊産婦など特定課題の対処法としてアウトリーチの必要性が認知されるようになり、自宅への送迎サービスや訪問支援などが始まっています。
アウトリーチは「手をのばす」「届ける」という意味があります。子ども・若者と直接的につながり、支援の際に必要なスキルです。ところが、国内ではアウトリーチの方法が知られていません。さらに、子どもにかかわる専門職の多くは、学校や児童相談所、児童福祉施設などの公的な援助機関を中心に配置されています。
つまり、支援制度を利用するには当事者が専門職に向かって発信すること、学校や施設など援助機関に足を運んでもらうことが前提となります。
(NPO法人全国こども福祉センター:夜の繁華街で積極的に声をかける荒井さん)
施設で待つのではなく、生活の場に出向く
私は施設職員として働きながら、無事に保護されるのを待ちます。施設の外を見渡すと、子どもたちが援助機関に直接出向く前に、犯罪や勧誘行為につながっていく。そんな姿を何度も目にしてきました。
「困りごとを自覚できない、周囲に助けを求められないのかもしれない」
私は施設ではなく、生活の場に出向く中で、アウトリーチの必要性を感じていきました。子どもたちが相談に訪れなければ、発見すらされないのです。私は悩みながらも施設職員を退職後、仲間を募り、2012年に全国こども福祉センターを設立。「専門職から子どもたちのもとへ出向く」という活動を始めました。
NPO法人全国こども福祉センター理事長、中京学院大学専任講師、椙山女学園大学兼任講師、保育士・社会福祉士(ソーシャルワーカー)
1982年、北海道生まれ。日本福祉大学大学院卒。児童養護施設職員として在職中、教育や公的福祉の枠組みから外れる子どもたちと出会い、支援の重複や機会の不平等に直面する。子どもたちを支援や保護の対象(客体)として捉えるのではなく、課題解決の主体として迎え、2012年に全国こども福祉センターを組織、2013年に法人化。繁華街やSNSで子ども・若者とフィールドワークを重ね、10年間で1万8千人以上の子ども・若者に活動できる環境を提供。著書に『子ども・若者が創るアウトリーチ 支援を前提としない新しい子ども家庭福祉』(アイ・エスエヌ)。主な論文に「若年被害女性等支援モデル事業におけるアウトリーチの方法」『日本の科学者』(本の泉社)がある。
子ども・若者が創るアウトリーチ/支援を前提としない新しい子ども家庭福祉
アウトリーチとは「手をのばす」という意味です。
全国こども福祉センターは、名古屋駅前の繁華街やSNSなどで、子ども・若者に対して声をかけたり、スポーツや社会活動に誘って、つながりをつくる活動をしています。
際立った特徴は、団体のメンバーである子ども・若者自身が、子ども・若者に対して声をかけている点です。
本書では、この新しいスタイルの児童福祉(子ども家庭福祉)の理念や活動内容を紹介しています。