2014年5月12日にNPO法人教育支援協会が主催した「今こそ、子どもたちの豊かな土曜日・放課後を創り出す!『土曜楽校全国会議』」のイベントレポートです。
今回のイベントでは、元文部省官僚・京都造形芸術大学教授の寺脇研氏、NPO法人教育支援協会の吉田博彦氏が登壇し、これまでの学校における土曜日の変遷やこれからのあり方についてお話しされました。2回シリーズの第二回目です。
「新しい公共」は新しくない
寺脇:実は「生涯学習」っていうときも、87年に「生涯学習」って文部省が言い始めたら、一番敏感に反応したのは、厚生省と労働省だったんですよね。それはなんで反応したかっていうと、彼らの所管である労働・雇用・福祉・介護、そういったものを新しい公共的なやり方でやっていかなきゃいけないよねって彼らも思っていたわけです。
だけれども、いち早く文部省が、「いいよ、塾だってそうなんだよ。民間のNPOだってOKだよ」という風に言ったことについて「なるほど、そういうことを自分たちも考えなきゃいけないなぁ。だからそれは文部省だけがやるんじゃなくて、厚生省もやるんだから、文部省だけでやってるみたいに言わないでくれよ」と反応したわけです。
つまり、私は当事者だったわけですけど、当時の議会として理解してた「生涯学習」っていうのと、20年くらい経って民主党政権が言い出した「新しい公共」っていうのは、基本的には同じということです。いろんな場をつくっていってサービスを受けやすいところにやっていけばいいじゃない、ということ。
この間ベビーシッターの事件が起こった時に言われてたのは「なんでこの親は横浜市の24時間保育を使わなかったのか」っていうことだけど、それは、使ったって構わないんだけど、それ以外のとこだってもちろん、ああいうことは許されるわけじゃないけれども、きちんとルールを確立して、きちんといろんなことをやらないと、むしろアンダーグラウンドになっちゃうんだから、アンダーグラウンドじゃなくしていくことによって、質をそれなりに高めていくっていうことも、ありだろうよっていう話なんですよね。
学習塾だって、実はアンダーグラウンドでやってるときは、確かにかなり「これでいいのか」っていうのがあったけど、アンダーグランドじゃなくなった方がよっぽど良い塾が学習の場になってきているっていうことがあるわけですね。なので、そういう理念の中から大きな流れが、歴史の流れってのがもう二十何年、 三十年に垂んとして、そちらへ来ている。
「土曜日」には「土曜学習」を
それで、今回「土曜授業」って言い出したのがなんなのかっていうことなんですけど。社会教育科がつくってきた資料の中には「土曜授業」が一番小さーく隅っこの方に書かれていて、「土曜課外授業」っていうのはそれより大きくて、「土曜学習」が一番大きく書かれてあるけれども、ね。
「土曜学習こそが中心」みたいに書いてくれていて、ぜひそうあって欲しいと思うけれども、現実にはどうなるかっていうと、やっぱり世の中の人たちは、「脱ゆとり」で学力が上がったんだと思っているからね。
「脱ゆとり」っていうことはつまり「昔に戻る」っていうことだから、「学校6日制」にした方がさらに学力が上がるんじゃないかっていう風に考えてしまう可能性が高い。
そういう人たちの言う民意、つまり誤って作られた民意を受けて「じゃあうちの市は土曜日も学校やりましょう」とか、あるいは「うちの県は土曜日も学校やりましょう」みたいな話が出てくることは、火を見るより明らかな話です。
それに対して我々は「いやそうじゃないんですよ。土曜学習でこれだけできるんです。ウソだと思うなら見てください」と言っていこうという話ですね。
それはね、決して無効ではないんですね。今の下村文部科学大臣っていうのは、現実に大分県の豊後高田市っていうところで「土曜学習」の様子を見たら、「あ、これでもいいじゃないか」「これで悪くないよね」っていう風に思ったんです。
それで「土曜学習」っていう言葉が残ってきたんで、それにはまぁ、さっきからあんまほめてないけど、生涯学習政策局の社会教育課もよくがんばってると、そう思ってます。
それで大臣自身も「土曜学習いいよね」ってことになってきている。だとするならば、それができたわけだから、たとえば、どっかの市長が「これやれ」って 言った時に「いや、それやらなくてもこんなことがうちの町ではできてるんですよ」ってことを示すことができれば、「じゃ、これでいいや」という風に思ってもらえるのではないかということなんですね。
もうそれが、世の中が実は、さっきも言いましたけど、世の中の人が新聞にミスリードされているとは言いながらですよ、それは上半身がミスリード、上半身というか上部構造がミスリードされてるわけですね。
下部構造としての「自分はなにをやりたいか」って自分の胸に聞いてみると、「自由にやりたいな」って思ってるはずなんだけれども、やっぱり、新聞やテレビ を見ると、ゆとりで学力低下とかって言われると、「おいおい、学力つけてくれよ」みたいな話になるということなんでしょう。
もうそれは、子どもたちが PISA調査で良い成績を収めた学力をつけているのが、全部学校のおかげかっていうと、そうとは言えないと思いますよね。
「魚焼き世代」と「ゆとり世代」
学校以外でやったことの成果っていうのが、もっともっと出ていると思います。
これ、実は、「ゆとり教育」ってバンバン叩かれてた、まだ始まったばっかりの時は、成果が出ないから、叩かれてる時ですら冷静にそういうこと言う人もいましたけど。たとえば、全国一斉学力テストで、2007年に一生懸命やったときに、昔の学力テストとおんなじ問題を出してる。
吉田さんや私が受けた昭和39年の問題も出てましたね。
(吉田さんに向かって)「昭和39年に6年生でしょ」「うん。」
その問題、全部今の子の方が成績がいいわけですよ。
「魚を焼く」っていう漢字の書き取りの問題があって、その「焼く」っていう字を6年生の4月で、今の (2007年の)子どもたちの正答率が約70%。「えぇっ!?6年生にもなってそういう字が書けないやつが3割もいるの?」と思うかもしれないんですけど、じゃあぼくらのときの正答率はっていうと、30%しかなかった。逆なんですよ。30%しかいなかった。他もみんなそう。
じゃあぼくらがそんな馬鹿かっていうとそういうわけでもない、と思いますよね。一応まっとうな人生を生きてる。(会場(笑))
「だからお前たち世代は!」って言われたらね「魚焼き世代」とか言われちゃうけど。でもね、授業時間数はそのときの方が多かった。もちろん土曜日もやってたわけだし、授業時間数も多ければ、教科書も分厚くて、カリキュラムも…。じゃそこから導き出されるのは「なぜ今の子どもの方が『焼く』っていう字が書け るのか」っていうことですよね。
まぁ『焼く』っていうだけじゃないんだけど。あらゆるところで成績が上だったっていうのは、普通に考えれば「学校以外のところで学んだからでしょ」っていう話じゃないですか。
「学校でこれだけ教えてたのをこれぐらいにしました。でも成績は上がりました。」ってことは、じゃあ学校以外のところでやったわけですよ。
つまり、僕らの頃は「子どもが漢字に接する機会」っていうのは、学校の国語の時間以外にはほとんどなかったわけだけど、今の子どもたちはゲームの攻略本を読まなきゃいけないし、まぁマンガでもいいですよ。いろんなところで文字に接して、「なんかこの文字がわかんないと自分の楽しいことがわからないな」みたいなことが、たくさんあるわけだから、そう言って勉強していくでしょう。
それから、買い物に行くのだって、昔の子どもたちよりも、それこそ僕ら駄菓子屋学校っていう学校やってるけど、僕や吉田さんの時代だったら100円玉だって持ったことはないんで、10円玉握りしめて買いに行くだけですから、それで買物するのなんかさほど難しいことではないんだけど。
今は300円くらいお小遣い持ってコンビニに行って、何買おうかと思ったら、こっちがどれだけ安いんだとか、50円で10個入ってるやつと60円で10個 入ってるやつは、どっちがどれだけ得なんだとか、ポテトチップ買うにしたって、分量が何グラムでいくら、グラムいくらでこう、とか、いろいろ複雑に考えなきゃいけないから、私は計算能力が上がっているのは当然の話だと思うわけです。
学校以外の場の「社会の教育力」
つまり、学校以外の社会の教育力、まぁ別にコンビニはそんなつもりで値段つけてるわけじゃないでしょうけど、消費税の計算とかしなきゃいけないわけですからね、今の子どもはね。僕らのときはそんなのないからね。
つまり、そういうとこから学ぶことってのを考えていくっていうのが大事なんであって、それを私たちが実生活に即した形で、これをやったらいいだろうねっていうことを考えて活動していく。
たとえば、野外活動に行きます。野外活動に行くときに、一番安く行くためにはどうしたらいいだろうかっていうことを子どもたちが考えてみるだけで大変なことですよね。どの経路を使って行ったらどれ位安いだろうかっていう話もあるだろうし、大勢で行くんだったら回数券を買って1人ずつそれを分けたらこれだけ得になるよね、とか。
こういうようなことを考えていく中で学ぶっていうこともできるわけで。学校っていうのは基本的に机の上でやることですから、総合的な学習の時間を除けばほとんど全部机の上でやることですから、机の上で学ぶ以外のところで体験とか経験を生かしながらやっていくっていうのは、学校外の教育活動でこそできることだと思うんですね。
じゃあそんなのはみんなできるのか、っていう話なんだけれども、できるわけですよ。それこそよく言われるように、僕らが子どもの頃は、親はだいたい中卒の方が多かった。親の学歴ってのは中学卒業くらいですよ。我々の親っていうのは戦前の人たちですね。戦前の教育受けてるわけですから、戦前の旧制中学の進学率なんて、2割ぐらいですからね。
今だいたい親だって普通の人だって、50%くらいが大学や専門学校や高等教育受けてるじゃない。ていうことは、子どもに接する力っていうのも明らかに上がっているわけで、学校の先生以外の人が全然子どもになんにも教えられないっていう状況では、ない。そしてかつ、労働時間はうんと短縮されている。昔に比べると。
大人は忙しいとか言うけどね、僕らが子どもだった時代の24時間戦わなきゃいけなかった人たち、まぁ土曜日もだいたい夜まで働いてたのは普通でしたから ね。日曜は倒れてるか、それでもゴルフ接待に行かなきゃいけないみたいな話でやってきた時代に比べれば、時間はある。
そしてかつ、少子高齢化っていうのも悪いことばかりじゃなくて、高齢で元気な人がいっぱいいるわけで、その人たちの力もある。
そしたらいくらでも力はあるはずなんで、民間からそういう運動を立ち上げていこうじゃないかと。つまりそれは、政治の言葉やメディアの言葉はさっき言った 上部構造には届くんですね。で、国で決めたんだから仕方がない、と。
下部構造は、だけどそうは言うけど、これはちょっとやだなって思っているときに、こういうのがあったらいいじゃないか、こういう場があったらいいよね、というようなことに功するものをつくっていくということだと思います。
なんだかんだ言いましたけど、文部科学省ががんばってくれたおかげで学校6日制ということにはならず、「土曜学習」というカテゴリーを大きく打ち出してもらえた。これをどういうふうに私たちが受けて、そして、できるだけたくさんの仲間をつくってやっていくかということだと思います。
本記事は、石井敦子が担当。Eduwell Journalでは、子どもや若者の支援に関する様々な情報を毎月ご紹介しています。子どもや若者の支援に関する教育や福祉などの各分野の実践家・専門家が記者となり、それぞれの現場から見えるリアルな状況や専門的な知見をお伝えしています。