私はいま、東日本大震災の被災地・宮城県石巻市で、子どもたちの学習・居場所支援活動をしています。宮城県石巻市は私の生まれ故郷です。
私たちの活動で支援している子どもたちは、小学生〜中学生(一部、高校生)、約120人になります。2つの小学校、5つの公民館や仮設住宅集会所で、放課後教室事業という学習支援活動をしています。運営にあたるのは、全員が地元・宮城県で生活をする大学生スタッフです。
震災後の石巻の子どもたち
石巻市の子どもたちを取り巻く環境は、ご存知の通り、震災によって劇的に変化しました。
現在、応急仮設住宅では約1万6000人、民間賃貸住宅(いわゆるみなし仮設)では約1万3000人、合わせて約3万0000人の方々が今もなお不憫な生活を強いられています。もちろん、仮設入居者以外にもたくさんいらっしゃいます。
また、応急仮設住宅の多くが、公園や広場、多目的グラウンド等に建てられたことで、遊び場や運動する場が不足しています。
学校に目を向けると、小学校9校、中学校4校が災害復旧計画対象校となっています。津波により校舎の一部または、全部が流出した学校です。
現在は、他の学校の敷地に建てられた仮設校舎や、校舎の一部を間借りする形で、子どもたちは勉強に励んでいます。本格的な夏が到来しましたが、プールが流出ために、低学年と高学年とでそれぞれ違う学校に、授業の度にプールを借りに行くこともあります。
例えば、私たちが一緒に勉強しているAさんは、家で勉強する場所がないと言います。仮設住宅では、部屋ごとにパーテーションで仕切るのが一般的ですから、親の視線が気になったり、生活音が気になったり、逆に夜遅くまで勉強しようとすると照明が気になって寝られないと家族に言われるそうです。
例えば、私たちが一緒に勉強していたBさんは、学校や家でいわゆる荒れを見せていました。喫煙や、器物破損、対教師暴力などです。学校の先生のお話によれば、震災前までは特に問題行動もなく、大人しい生徒だったそうです。
また、これは余談ですが、最近、駅前やマンション、アパートの裏で援助交際待ちをする女子高生によく出会います。彼女たちの話によれば、震災後にお小遣いをもらえなくなり、困っていたところに、東京からきたボランティアが声をかけてきて、援助交際に手を出し始めたということでした。
震災前の石巻の子どもたち
私たちが支援している子どもたちは、大きく2つに分けられます。1つ目は、相対的貧困であり、課題を抱えている子どもたち。2つ目は、相対的貧困ではないが、課題を抱えている子どもたちです。震災直後の緊急期には、子どもたちの全てが対象となっていましたが、復旧期である現在では、この2つの子どもたちが支援の中心となっています。また、被災の有無に関わらず、このような子どもたちを受け入れています。
宮城県石巻市は、震災以前から学級・授業崩壊、いじめ、校内暴力、喫煙など、子どもたちを取り巻く環境に多くの課題を抱えていました。
実際に平成22年度の全国学力調査(文部科学省)では、同じ県内の仙台市と比べて平均点で8点も低い結果が出ています。震災後の調査結果は、まだ公表されていませんが、震災以前よりも成績は落ちていると教育委員会から伺っています。
当時中学3年生だったCさんという生徒は、ある日「語弊があるかもしれないけど、震災がきて救われたと思ってるんだよ。」とつぶやきました。震災前から不登校、父親は失業してアルコール依存症、母親はDVに遭い、姉は家出をする、そんな家庭だったそうです。震災によって現地入りしたボランティアの方にやっと助けてもらえた、だから震災がきて救われたと話してくれました。
勉強する場所がない、居場所がない、そして経済的な余裕もない。これらの課題が加速度的に進行したのが、今回の東日本大震災であり、そして、被災の有無に関わらず、このような子どもたちにとって、学校でもなく、家でもない、第3の場所として活動しているのが、私たちです。
次回以降、石巻市で起こっている課題について、1つ1つ具体的な例を取り上げながら、皆さんと一緒に考えていけたらと思います。
1989年生まれ、宮城県石巻市出身。石巻圏域子ども・若者総合相談センターセンター長。早稲田大学大学院教職研究科修士課程修了。東日本大震災で故郷が被災、2011年5月にTEDICを設立(2014年にNPO法人格取得)。貧困、虐待、ネグレクト、不登校、ひきこもりなど様々な困難におかれる子ども・若者に伴走しながら、官・民の垣根を超えて、地域で育んでいく支援・仕組みづくりに取り組み、主に困難ケースへのアウトリーチを中心に子ども・若者に関わる。