モンテッソーリ教育、シュタイナー教育、フレネ教育、イエナプラン教育、オルタナティブ教育など教育アプローチの名称は様々ありますが、レッジョ・エミリア・アプローチ(以下、レッジョ・アプローチ)の名称はそのどれとも違う特徴があります。
それは、レッジョ・アプローチが特定の人名や名詞ではなく、レッジョ・エミリアという地名に由来することです。
レッジョ・アプローチの最大の特徴は、「子ども、保育者、専門家(教育、アート)、親、地域の人々がアートを通して主体的に探求して学び合い、育ち合うこと」にあると前回の記事で述べましたが、レッジョ・アプローチの根本には「子どもをひとりの市民としての権利と無限の可能性を持つ存在として尊重する」という姿勢があります。
イタリアには乳幼児教育について国が定める指針がないので、各市は独自の指針を設けています。レッジョ市では「教育はすべての子どもの権利であり、コミュニティの責任である」という宣言に始まり、街全体で豊かな教育づくりに取り組んでいます。(※1)
本稿では、レッジョ・エミリア市の歴史と地域に視点をあて、その創造的な教育の源泉のありかを探求してみましょう。
古きよき伝統的な街並みと新しいシンボル
レッジョ・エミリア市があるエミリア・ロマーニャ州はチーズ、生ハム、ワインの産地として知られ、日本でも有名なパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズは「レッジョの」という意味があります。
レッジョ・チルドレンの拠点であるローリス・マラグッツィセンターも、元々はチーズ工場だった場所をリノベーションして使用しており、この地と農産物の関わりの深さを伺えます。
古い教会や伝統的なヨーロッパ建築が残る中心市街地から少しはずれると、周りには葡萄畑が広がり、美しく穏やかな街並みを残しています。また、イタリア国旗である三色旗が最初に掲げられた街でもあり、文化的、歴史的な遺産も数多く存在します。
(レッジョ・エミリア・AV・メーディオパダーナ駅 長さ483m、高さ約20mで続く波のような稜線が圧巻)
2013年6月にはスペインの建築家サンティアゴ・カラトラーヴァ(Santiago Calatrava)が設計した、レッジョ・エミリア・AV・メーディオパダーナという名の駅が開設しました。
この駅はミラノまで40分、フィレンツェまで1時間ほどで行くことが可能な高速鉄道の駅です。建築の骨組みが彫刻的な造形となり、青空に映える白が流麗に波打つ駅は、レッジョに壮大な景観を加えました。レッジョ市民は当初建築家がスペイン人ということで反発を感じていたようですが、この美しい駅舎を見てからは誰も不満を言う人はいなくなったということです。
民主主義に基づく共同体の形成
そんな穏やかな街にはレッジョ・アプローチが発展する土壌が歴史的背景に見られます。
レッジョ・アプローチの軌跡は第二次世界中のレジスタンス運動に発します。もともと強力な社会主義の伝統があったレッジョの地では、それが故にムッソリーニによるファシスト政権下で抑圧の対象となりました。そして、ファシスト政権の崩壊をレッジョ市民は熱狂をもって歓迎しました。
レッジョ市民は、戦争によって荒廃した土地と精神に打ち勝ち未来を創造するため、ナチスが残した戦車や軍用トラックをスクラップにして売り払い、自分たちでレンガを焼き、手渡しで運び校舎を作りました。戦後の荒廃を経て国の建て直しに直面し、子どもたちへ豊かな未来を受け渡すことを誓い、自ら新たな学校を創設した心意気は、素晴らしいとしか言いようがありません。
すべては、市民が未来のために立ち上がったことから始まったのです。
当初はまさに市民の手弁当で始まりましたが、60年代にイタリア初の公立幼児学校として認可され、市民と行政の協働体制が形成されていきました。
当時カトリック教会ではない幼児教育施設が市民権を得ることは大変な困難を要しました。しかし、この市立として認められる、ということは重要な意味を持ち、それは「市民が参画して子どもを育てる」という当事者意識を高め、地域全体での教育の在り方の基盤を築きました。
1994年には子どもの権利と可能性を擁護し促進する国際的ネットワーク「レッジョ・チルドレン」が組織化されました。現在でもレッジョ・チルドレンが市立の園を管轄し、指導者の養成等様々な面で重要な役割を果たしています。
(レッジョ・エミリアの郷土料理 左・カッペレッティと右・ニョッコフリット)
教室から地域へ
レッジョ・アプローチの特長は、地域のみならず、学校空間の建築構成にも現れます。
「幼児のための学校は、多くの大人と多くの子ども自身が生活の関わりを共有し合う場所、すなわち統合的な生活組織であると考えています」(※2)というマラグッティの言葉からもわかるように、幼児教育施設を単に学校としての機能ではなく、子どもたちの生活と街をつなぐプラットフォームと考えていることがわかります。
もともと、ヨーロッパの都市計画は広場(ピアッツア)を中心に人が集うパブリックの概念があり、私的空間から公的空間につながる動線や意識の在り方は日本のそれとは大きく異なります。
広場は、人々との交流、対話の場として機能し、建築動線も広場に流動的に流れるような配置がなされています。もちろん、レッジョ市街地にも広場があり、街の象徴となるモニュメントが建っていたり、イベントの際に人々が集まる場として機能しています。
(左・レッジョの広場で開かれている朝市の様子、右・レッジョ市街地の様子)
その空間意識は、幼児教育施設にも反映されます。施設内にはパブリック・スペースである「広場」が中心にあり、それと連続して子どもたちの創造活動の基盤となるアトリエを配置しています。
さらにアトリエには暗い空間、明るい空間の二対の空間性を有するミニ・アトリエがあります。
ミニ・アトリエは光と影をモチーフにした表現活動がなされ、教室空間だけでなく、「見えないもの」に向けた空間意識の拡張の機会をつくります。アトリエは特別な場ではなく、オープン・スペースでいつでも入っていける場として存在し、子どもたちの創造的活動をする環境が常に保障されています。
レッジョの市立園を訪問すると、各施設共に空間づくりにこだわりを持っていることを感じます。
その有り様は各施設によって様々で、建築の外枠からこだわりをもった園もありますが、基本的には内部空間デザインによって「園内の空気」が創造されています。
それは、各家庭がそれぞれのインテリアでリラックスできる環境をつくり出しているように、いる人にとって心地よい成熟した空間づくりがなされています。
レッジョの教室環境がわかる一文を以下に引用します。
レッジョ・エミリア幼児学校と乳幼児保育所を訪問した人々は、教室の棚や壁を埋め尽くす子どもたちの作品の素晴らしさと同時に、光と影の明暗によって印象的に彩られた学習環境の豊かさに驚嘆するに違いない。
どの教室も多数の観葉植物によって柔らかく演出され、静かなBGMが子どもたちの柔らかな感覚による創造的な作業を包み込んでいる。
光と影のシンフォニーは、レッジョ・エミリアの教育に隠れた主題のひとつである。どの学校の「広場」にも置かれた三枚の大きな合わせ鏡は、万華鏡の中に入ってみたいという子どもならだれもが夢見る欲望をかなえてくれる。
下から光が当てられるライティング・テーブルは、そのうえにあるセルロイドやプラスチックのモノを置くだけで、不思議な光と影の絶妙な造形を楽しむことができるし、OHPの上にさまざまな色や形をのせるだけで、スクリーンに不思議な光と影が投影される世界を表現することができる。これらいくつものユニークな仕掛けが、創造性の教育を実りあるものにしている。(※3)
訪問したある園のペタゴジスタ(教育専門家)は、「園の設計を考える時に、建築家とペタゴジスタ、保育者が協同で考え、子どもがいかに豊かにそこで過ごすことができるか何度もの話し合いを経て設計が決定されました」と話しました。
この園は他園と比べても斬新で、現代美術館のような建物を園として使用するに際し、「現代的な建築の園を使用するにあたり、最初は苦労しました。今までの考えを打ち破り、様々な工夫を進めています。
今は、現代的な建築の中で保育が成立することを嬉しく思うと同時に、まだまだこの空間をどのように使うかまだ模索している段階なのです。空間を使う人が理想を持つことが大事です。なぜなら、美しさの中に身を置くのは人間の権利なのだから」と熱く語ってくれました。
固有の文化を持つ都市や環境空間は重要ですが、それよりもっと重要なのは、「その場/空間といかに創造性をもって関わるか」ということである、とペタゴジスタとの話を通じ深い学びを得ました。
※ここに掲載されている写真、内容は石井希代子氏監修の「レッジョ・エミリア・ツアー2015」を通じ得たものです
<参考文献>
※1,3:子どもたちの100の言葉―レッジョ・エミリアの幼児教育
※2:レッジョ・エミリアからのおくりもの―子どもが真ん中にある乳幼児教育
本記事は、NPO法人子どもARTプラットフォームの森井圭が担当。子ども向けワークショップ、親子向けワークショップの開催、保育施設への指導者派遣等による子どもへの創造活動の提供を通じ、アートを通じた子どもの創造力を高める教育の普及を推進します。また、子どもの創造力を高める教育の専門家の育成を促進し、保育者の社会的地位向上のため政策提言等行います。さらに、子どもの教育を通して保護者である親の教育、アートに関する価値観を変容させ、次世代へと引きつぐ創造的な文化芸術、産業、教育等の事業を育み、地域の活性化と社会の発展に貢献することを目的とします。また、優れた指導者を養成することで全国各地の子どもたちに良質な教育を提供します。