学校教員

日本の学校教育に疑問。けれど、批判だけしている人間にはなりたくなかったー教職員の声を社会に!「School Voice Project」インタビュー③

埼玉県・中学校 高等学校 教諭 松本祐子さん

こんにちは。埼玉県にある私立学校「自由の森学園」で教員として働いている松本祐子です。

埼玉県・中学校 高等学校 教諭 松本祐子さん

教員になって今年で10年目。大学卒業後は大阪の公立小学校に勤め、その後私立学校に移り現在に至ります。

子どもの頃に通っていた学校が荒れていたこともあり、苦労する先生を近くで見て、当時は「教員にはなりたくない」と思っていました。大学在学中にフィリピンでインターンをし、そこで改めて教育の重要性を感じました。

「10年後、20年後の社会をつくっていく子どもたちと関わる教育分野で仕事がしたい」。そんな気持ちで、教職に就く道を選びました。

松本祐子(まつもと ゆうこ)
どこにでもいる、「ふつう」のセンセイ。幼いころから感じていた日本文化や学校の“きっちり感”に違和感をもちながら、大人も子どもも幸せな学校のかたちを模索中。旅好き。学校や子どもたちを中心とした地域開発に興味があります。元大阪府公立小学校、現埼玉県私立中高校教員。「子どもに教育、女性に仕事を」フィリピンとともに活動する認定NPO法人アクセス理事。

「ワニの涙」と自分が重なり、途上国の実情を知るためにフィリピンへ

もともと海外の地域開発に興味があり、大学の卒論では「世界中の人が公正に生きていく社会をつくっていくために、どのような教育が必要か」について書きたいと思っていました。いろんな文献を調べていたときに、ドイツのNGOが出している古い資料から「crocodile tears(ワニの涙)」という絵を見つけたんです。

ドイツのNGOが出している古い資料から「crocodile tears(ワニの涙)」という絵

発展途上国で起こっている悲惨なニュースを耳にして、涙を流しながら豪華な食事をするワニの様子が描かれています。偽善者が悲報に接して嘘泣きをするような、偽りの感情を指す表現として使われています。

絵を見たとき、自分がこのワニと重なりました。学生時代は発展途上国のドキュメンタリー番組をよく見ていましたが、そのときに感情的になるだけで、結局何もしていなかったんです。「このままじゃ自分はこのワニと同じだ。何かしなきゃ」と思い、その後1年間の休学を決意。NGOのプログラムに参加し、フィリピンでインターンをしました。

途上国やNPOでの経験で、教育への関心が高まった

卒業後はNGOの職員として地域開発に携わりたいと思っていました。けれど実際に現地へ行って、地域に住んでいる人が幸せに生活するためには、教育が大切な柱になっていると感じました。

フィリピンの人は、教育に希望を持っているんです。教育を受けられることへの価値を感じ、先生が大切な存在であることもいろんな方と話す中で伝わってきました。

途上国やNPOでの経験

ですが日本に目を向けると、学校や先生に対して良いイメージを持っている人は少ない気がしました。「先生の頑張り」と「先生に対する世間からの印象」には、大きなギャップがある。教育実習で先生と関わる中でそう感じました。

「本当はもっと教育にお金をかけないといけない。教育の大切さはみんなが認識する必要があるのに、なぜ日本ではそうなっていないのだろう」と、日本の教育に疑問が湧きました。でも批判だけしている人間にはなりたくありませんでした。実際に学校現場を見て、その上で自分の言葉で意見を言いたかったんです。

フィリピンから帰国後は、NPO法人Learning for Allの学習支援事業に関わりました。私は教育大学に所属していたこともあり、それまで周りにいたのは教員志望の人がほとんどでしたが、そこでは「先生になろうとは思っていないけど、教育に携わりたい」という他大学の学生とも出会いました。

教育の価値があまり重視されていない日本社会に違和感を持っていた私は、自分が教育に対して抱いていた思いを他の人も抱いているとを知って、勇気をもらいました。

フィリピンでのインターンやNPOでの活動は、教員になることを意識したきっかけの一つです。

途上国やNPOでの経験

学級崩壊を経験して、教員としてのベースができた

実際に教員になって2年目。5年生の担任を受け持ったときに、学級崩壊の寸前までいく経験をしました。子どもたちとつながっている感じがしないし、自分の教室に行くのが嫌で嫌でしょうがなかった。いろんな先生たちがサポートしてくれました。当時のクラスの子たちには、申し訳なさしか今も残っていません。

次の年もほとんど学級崩壊しているクラスの担任だったのですが、相性がよかったのか、子どもたちはどんどん変わっていきました。保護者や周りの先生がかけてくれる言葉からも、自分が認められたんだと感じました。

その2年間で、子どもたちとの関わり方、授業のつくり方、教員同士のつながりのつくり方など、多くのことを学びました。教員生活のベースができたと思っています。

学校教育への違和感が強まり、次のキャリアを考え始めた

4、5年目になると、学生時代に感じていた学校教育への疑問が再び湧いてきました。家族との時間も十分に取れず、自分の命を削るように働く先生が少なくなかったからです。

目を輝かせて「子どもたちといっぱい遊んだり、一緒に勉強したりしたいです!がんばります!」と言っていた新任の先生がどんどんしんどそうになっていく姿は、本当に見ていられませんでした。この職業に希望を持って入ってきたのに、学校のシステムはその思いを潰してしまうんです。なので、公立小学校にいた後半の4年間は、先生たちがいかに楽しく働けるかにも意識を向けていました。

当時は「クラスがワクワク楽しくなる!子どもとつくる教室リフォーム」の著者である岩瀬直樹さんの実践に興味があって、子どもたちの居場所になるような教室づくりがしたいと思っていました。試行錯誤しながらではありましたが、自分の範囲でできることをやっていました。

ただ、「自分だけが独自の取り組みをすることを許されていいのか」「周りの先生に合わせるべきなのか」などと悩むこともありました。数年後には教育委員会に異動したり、ゆくゆくは管理職になったりするのかなと考えたときに、自分の人生の先が見えたようでワクワク感がなくなってしまったんです。

偶然が重なり、私立学校での勤務がスタート

これまである程度の経験は積んできたけれど、影響力や知識が足りないと思い、教員8年目で一旦教職から離れることを決めました。当時の計画では、退職してから1年間はどこかの学校で講師として働き、お金をためながら英語を学び、その後海外の大学院に行く予定でした。

教員を辞める年度の冬、次年度から働ける学校を探していたら、たまたま自由の森学園が英語の講師を募集していることを知りました。思い切って履歴書を送ったら、なんと通ってしまったんです。

それが2020年2月。その後コロナ禍で海外に行くことは難しくなったので、結果的には良かったと思います。

由の森学園

素の自分でいられる学校の雰囲気は、自分に合っている

自由の森学園は、基本的になんでも生徒が主体的にやるので、学校行事でも教員は何かを教えるよりも見守っていることが多いです。教員と子どもたちが、一緒にそういう文化をつくっていったんだと思います。

生徒は教員のことを「先生」とは呼ばず、あだ名で呼びます。私は「祐子ちゃん」とか「祐子さん」と呼ばれることが多くて、それもフラットな感じがして心地良いです。

公立学校に勤めていたときは、プライベートの自分と先生としての自分を切り替えていたのですが、今はほとんど切り替えず、素の自分に近い状態で子どもたちと関わっています。

School Voice Project を応援する理由

School Voice Projectの理念は、私の思いと重なる部分があると感じました。
私自身もそうですが、先生はやりがいと引き換えに我慢している部分が多いと思います。何かを変えたいと思っても、「誰かに言ったところで変えることはできない」と思ってしまっている先生は少なくないと思います。

子どもたちには「変えるには声をあげなきゃダメだよ」「行動しないと変わらないよ」などと言うことがあるのに、教職員は社会に対して口をつぐんでしまう。「そんな大人たちを見て、子どもたちは何を学ぶだろう?」と思うことがあります。声をあげることで変わる実感を、まずは教職員が実感する必要があると思っています。

先生の頑張りや良いニュースは、もっと社会に届けられるべきです。学校に関する悪いニュースは取り上げられるけど、良いニュースはなかなか話題になりません。先生の方から自分の思いや良い取り組みを発信することはあまり多くはないので、それらを社会に向けて発信できると良いなと思っています。

埼玉県・中学校 高等学校 教諭 松本祐子さん

(取材・文:建石尚子)

Author:School Voice Project
「School Voice project」では、学校をよくしていくためのヒントが詰まっている「現場の教職員の声」をアンケートを通して「見える化」し、各学校で参考にできるかたちで発信したり、メディアや教育行政(文科省や教育委員会)に届ける活動に取り組んでいます。
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