子どもの貧困率16.3%―。今年の7月、厚生労働省が3年ぶりに日本の子どもの貧困率を更新し、過去最悪となったことを発表しました。これは、様々なメディアでも報道されているので、ご存じの方も多いと思います。
日本は先進国の中でも「子どもの貧困率」が高く、それらは子どもの学力や進学等に影響を及ぼし、貧困の連鎖が起こっています。どの記事を見てもだいたい同じことが書いてあるし、私自身も様々な場面でそのように訴えてきました。
(平成25年国民生活基礎調査の概況:子どもの貧困率の年次推移)
しかし、この報道を知った方の率直な感想は、「よくわかるようで、よくわからない」という、なんとも言えない感じではないでしょうか?
「貧困」という言葉には、ものすごい重みがあります。「子どもの貧困率16.3%」と聞くと、なんとなく深刻な問題のように思います。でも、よくよく考えると現実味が湧きません。
「本当にそんなにいるんだろうか?」それがこの「よくわかるようで、よくわからない」感覚の正体ではないでしょうか?これは私自身の反省でもありますが、多くのメディアは、いま日本で起きている問題を「貧困」という一つの言葉で片づけ、説明を放棄してしまっているのではないかと思います。
だからこそ、本記事ではこの問題ときちんと向き合いながら、「子どもの貧困率16.3%」が意味することと、その問題点について述べます。
厚労省が定める「貧困」とはどういう状態を指しているのか?
では、そもそも厚労省が言っている「貧困」とは一体どんなものだろうか。別に私はここで「絶対的貧困」と「相対的貧困」等といった小難しい話をする気はありません。
ここでいう「貧困」とは、一定基準の所得以下で暮らす経済的な困難を抱えた方々を指します(厚労省の基準では1人世帯で122万未満の可処分所得)。「子どもの貧困」とは、言葉の通りそういった家庭で暮らす子どものことです。
例えば、ある家庭では、子どもたちが幼少期のときに両親が離婚しました。父親が子どもに手を出すようになったことが原因だと言います。母親は家計のことを考えると悩んだが、子どもを守るためには、その選択しかありませんでした。
母親は、朝4時~昼12時の仕事、13時~17時の仕事を掛け持ちしています。合計すると一日の労働時間は13時間、週の休みは一日だけ。いずれも非正規雇用のパート勤務。時給は安く、仕事の安定もない(収入は厚労省が定める「貧困」の基準以下)。「働けるうちは、働きます」と母親は語る。このような環境下で、高校生の子ども2人は生活しています。
もちろん事例の一つに過ぎませんが、厚労省が定めた「貧困」の基準以下の生活というと、具体的にはこのような家庭が挙げられます。事例の通り、ひとり親家庭(中でも母子世帯)の経済的な困難度合の深刻さは、各メディアで報道されている通りです。女性の雇用が不安定な場合が多いため、母子世帯では、働いても、働いても、生活が楽になりません。
「お金に余裕がない」ことは子どもたちにどんな影響を与えるのか?
「経済的な困難を抱える」とは、言葉の通り「単に所得が低い(お金に余裕がない)」という事実に過ぎません。しかしながら、ここに隠されている問題は、「お金に余裕がない」状態が、子どもたちに様々な困難を与える「引き金」になるリスクが高いということです。
例えば、親がダブルワーク、トリプルワークといった無茶な働き方をすることによって、精神疾患や大病を患う場合も少なくないのです。それによって、子どもは家事をしたり、兄弟の面倒をみたりしなければならないし、何よりも心の拠り所を失うことになります。
あるいは、(私も3年前、今の仕事を始めた頃に痛感したが)人はお金がなくなると精神的に余裕がなくなります。余裕のなさは、家族関係(親子関係)にも影響を及ぼすこととなります。不登校や非行等の問題を抱えた子どもの多くは、家族関係に何らかの躓きが生じています。
さらに、東日本大震災のようにいつ起こるかわからない突然の災害は、問題に拍車をかけます。
例えば、母1人、中学生・高校生の子ども2人の計3人で生活をしてきたある家庭は、震災前まで祖父からの経済援助を受けながらなんとか生計を立ててきましたが、震災を契機に沿岸部で漁師をしていた祖父が仕事を失いました。これによって経済援助がストップしました。県の借上仮設住宅で生活できるのもあと1年。先の見通しは立っていません。今、家庭は窮地に立たされています。
これまでにあげた例は、あくまでも「リスク」に過ぎません。決して厚労省の言う「貧困」の基準以下の生活水準で暮らす「16.3%」のすべての子どもたちに、この問題が起こっているわけではありません。しかし一方で、同時に複数の問題が生じる可能性もあります。事実複合的な問題が生じている子どもたちは多く存在します。
また、これまでは「リスク」について述べましたが、子どもたちが確実に直面するのは「学費」の問題です。
子どもたちにとって確実な保障があるのは、小中高の学校教育費くらいで、就学前児童の教育費用、小中高生の塾や習い事等の学校外教育費用、大学進学の費用等については私費負担が多く、それらの機会は家庭の状況に大きく左右されます。教育の機会を奪うことは、子どもたちから「希望」を奪います。
これらの問題は「自己責任」なのだろうか?
ここまで述べてきた問題を「どうせ、自己責任でしょ?」と片づける人も多いのですが、それは違うと思います。
今、経済的に困窮している親(いわゆる貧困状態にある親)は、「働かなくて困窮している」のではなく、「一生懸命働いても困窮している」状況です。これは本人の努力の域を超えています。
さらに現代社会において、貧困に陥るリスクは誰にでもあることを忘れてはなりません。親の経済的な困難は、子どもに様々な悪影響を及ぼし、それは世代を超えて連鎖していくことになります。一度はまると抜け出すことは極めて難しいのです。今、経済的に困窮した親自身が、既にこの連鎖の被害者である場合も少なくありません。
繰り返しますが、この問題は「自己責任ではなく、社会全体の問題」です。2012年に「子どもの貧困対策法」が制定されたのも、この問題が各家庭の問題ではないことを認めたからです。「自己責任だ」と言い張る人は、自分自身を守る意味でも、早くその考えを改めた方がいいでしょう。今の社会において、明日、自分自身が貧困に陥る可能性があることを忘れないでほしいです。
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事。大学在学中に、不登校児童等の支援に携わる。卒業後、株式会社公文教育研究会(KUMON)に入社し、子どもの学習指導や学習教室のコンサルティング業務に従事。東日本大震災後、チャンス・フォー・チルドレンを設立し、代表理事に就任。子どもの貧困対策センター・公益財団法人あすのば アドバイザー、学校法人軽井沢風越学園評議員。著書「体験格差」、共著「東日本大震災被災地・子ども教育白書2015」。
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公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン(CFC)は、日本の子どもの貧困・教育格差という深刻な社会課題に対して「スタディクーポン」という新しい課題解決の手法で挑んでいます。経済的困難を抱えた子どもに、塾や習い事等で利用できる「教育クーポン」を給付することで、子どもたちが未来の展望を描き、夢に向かって学ぶ環境を提供しています。