子育て・育児

命令や賞罰ではない!子どもが主人公のしつけの考え方-子どもの自主性・自発性を大切するしつけとは?

子どもの好き嫌い

改めてしつけについて考えると、世の中には、子どものしつけに関する本や情報が氾濫していることに気がつかされます。子育ての正解は「これである!」という印象のタイトルやアドバイスがたくさんありますが、そもそもしつけに「正解」なんていうものはあるのでしょうか?

もちろん、脳科学的に証明されてきたこと、先人の経験値に基づく知恵は、とても参考になりますが、「わが家の子育て」に100%当てはまるとも限りません。

わが家では、もうすぐ4歳と2歳になる兄弟が、食卓の上でオリジナルダンスを踊り、ご飯が手と口にいっぱいのまま布団の部屋にダッシュ&ダイブをして、お店でショッピングカートを自分で押すんだと激しく主張して兄弟譲らない中、妻と二人で声を荒げることもしばしば。

子どもたちの「反社会的な行動」(?)に対して、どう「平和」を守っていくのか・・・。

仕事では、幼稚園でお母さんたちに向けて子育て相談、アドベンチャー教育ファシリテーターとして子どもたちの主体的な体験の場づくりをする立場です。自分がわが子に「しつけ」を伝える上で大切にしたいことを考えてみました。

「自主的・自発的」というのがしつけの大切な鍵

まず、そもそも「しつけ」とはなんでしょうか?

しつけ【仕付け・躾】
1.礼儀作法をその人の身につくように教え込むこと。また礼儀作法。
2.裁縫で、縫い目や折り目を正しく整えるために、仮にざっとあらく縫うこと。また、その糸。
3.田畑に作物を植え付けること。
4.作りつけること。出典:デジタル大辞泉(小学館)

英語の“Discipline”には、しつけの他に、訓練、鍛錬、抑制、規律、懲戒、折檻などの意味が含まれます。しつけを「教え込むこと」とすると、訓練や規律的なニュアンスが強くなる印象です。

一方で、子育て協会のホームページには、「しつけとは、その子にどう育ってほしいのか、何を身に付けてほしいのか、家族や社会が期待していることを、その子が自主的、自発的に動けるよう教えていくこと」とあります。

この「自主的・自発的」というのがしつけの大切な鍵になるのではないでしょうか?

子どもが靴を履く

子どもの自主性を大切にするしつけとは?

「ごめんなさいは?」「おもちゃを○○ちゃんにも貸してあげなさい」のように、親から「指導」されて変わる行動は、物事の本質が理解されません。「アイス買ってあげるから」「おやつ抜きよ!」のような褒美や罰などの外発的動機付けでは、自主性は育ちません。

では、子どもの自主性を大切にするしつけのために、私たちが親として大切にしたいことはなんでしょう?

1.行動で見せる

シュタイナー教育では、母国語を学ぶのと同様に、子どもは大人の姿を見て、模倣行為を通して家事や社会的なマナーを学ぶとされています。

子どもがおままごとで作る料理、調味料の使いかた、「ちょっとだけ味見~!」という言い方一つとっても、私たち親のモノマネです。

親が家庭内で大切にしたいマナーや生活習慣を、まずは自ら実践している姿こそ、一番のしつけなのではないでしょうか。

ご飯を食べるときにきちんと座って「いただきます」と言う。食べたら片付けて机を拭く。間違ってぶつかったら「ごめんね」と謝る。朝「おはよう」と言う。服を脱いだら洗濯カゴに入れる。

わが子が、自分を見て学んでいると思うと、親として少し背筋をピンと伸ばしたくなります。

2.余白を残して伝える

伝え方は様々ですが、親から子へ「指示する」場面は日々何度もあります。「おもちゃ片付けて!」「座って食べて!」その際に、断られる余白を残したらどうでしょう。

「イヤ!」と断られた場合、「一緒に片付けよう!」ともう一度誘ってみる。もしくは、親がやって見せてしまう。親がおもちゃを片付けている姿を見て、子どもは片付け方を学んでいます。

そのうち、10回に1回、自発的に片付けるかも!?半年後に、急に自分でやるようになるかも!?

一方で「命令」には、断る余白がありません。これは、安全を守るため、時間がないなどの場面で使うことが考えられますが、子どもの自主性の成長はありません。

しかも、「片付けなさい!」→「イヤだ!」→「やりなさい」→「イヤだ!」の無限ループに入る恐れありで、お互い疲弊してしまいます。

一回許してしまったら、二度三度繰り返されるから、線引きをきちんとしてダメなものは必ず止めるという考えもありますが、発達に応じてやがてできるようになると信じて、日々伝え続けることも大切なのではないでしょうか。

ふさぎ込む子ども

受け取って実践するかは子どもの選択

昨年亡くなられた、児童精神科医の佐々木正美先生は、「子どもをしつけるには、遠回りに思えるかもしれませんが、まずは子どもの要求を十分聞いてあげることが大切」だと言っています。

まずは、子どもの話に耳を傾け、欲求を満たし、親との信頼関係を日々紡ぐこと。この基本的信頼が育ってこそ、親の価値観を受け入れてくれるのではないでしょうか。

アドベンチャー教育のファシリテーターとして、私が信じていることに “People can never teach people”(人は人を教えることはできない)という考え方があります。

これは、価値観や行動を選ぶのはいつも相手だということです。社会的なマナーとして、家族の価値観として、望ましい行動は伝えるけれど、それを受け取って実践するかは子どもの選択。子どもは、親の所有物ではなく一人の尊重されるべき人格であるということを忘れないようにしたいものです。

また、子どもの発達段階的に、自分のことしか見えていない2-3歳の子どもに「人に迷惑をかけない」という感覚は理解できないとするならば、しつけと称して、子どもがまだできないことを強要していることも多々あるかもしれません。

科学的には、子どもが親から受ける影響は20−50%程度で、あとは遺伝子、友人、文化、親以外の大人からの影響だそうです。だとすると、親が子どもの未来を全て背負って「しつける」ということには無理があります。

家庭や身近な社会で大切にしたいことを、やってみせ、伝えながら、土に種を蒔き続け、願って待つ・・・機が熟したら、その花が咲き果実が実る。そのくらいの感覚でいたいものです。そんなことを考え、信じてみると、ふと子どもの「反社会的な行動」(?)をあるがままに見るゆとりと、少しの自信が生まれるような気がします。

と言いつつ、今日も息子たちに大人の都合をあれこれ「押しつけ(・・・)」そうになる自分・・・ユーモアと環境設定の工夫を武器に、日々是修行なり。

終わりに、道教(タオ)の教えの一部を抜粋してご紹介します。

「おどし、罰を与えれば、子どもを支配できる。同時に、子どもは恐怖を学ぶ。

ほめ、報酬を与えれば、子どもの行動を支配できる。同時に、子度は賞賛と価値のために外面を見ることを学ぶ。

あなたが、彼らのあらゆる動作、行動、決断を見張り、それが適切に行われたかどうかを確かめるなら、彼らは自分自身をつねに疑うようになる。

だが、支配や干渉なしに、彼らを愛し、導くことができるなら、彼らは自分自身を信頼するようになる」

引用:タオの子育て―子どもを育てる、親を育てる81章

<参考文献>

Author:藤樫亮二
学校法人藤樫学園矢切幼稚園理事。玉川大学文学部外国語学科英語専攻卒業。米国ニューハンプシャー州 Plymouth State University K-12 Education、Adventure Education 修士課程修了。大学卒業後は米国に留学し、アドベンチャー教育を専門に学ぶ。帰国後、玉川大学学術研究所「心の教育実践センター」で、 大学助手として、体験学習プログラムの実践・開発・研究に携わる。学校教育プログラム、社会教育プログラム、企業研修、教員研修など様々な領域をフィールドとし活動。現在は、矢切幼稚園で主事を務める傍ら、アドベンチャー教育のファシリテーターとして、チームビルディングやリーダーシップ研修などの活動を行っている。

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