「行かされている」状態で北海道を旅するということ
「ふくしまキッズ」という活動をお引き受けし、北海道内各地の皆さんと協力しながら活動を展開しています。
今年の夏は、実に300人以上の子どもが、最短でも1週間、夏休みであれば最大4週間、福島の子どもたちが道内各地を訪れて、その地域ならではの自然や文化を楽しみ、なかなか外で遊ぶことができないそのストレスを発散させ、リフレッシュして福島に戻る、という活動です。もう7回目なのですが、そんなにたくさん受け入れてきたのか、と今更ながらびっくりしているところです。
普段、ぼくたちは「キャンプに行きたい」「お泊りを体験してみたい」と興味を持つ子を募集して、その子達とキャンプとか旅をします。でも、ふくしまキッズに参加する子どもたちは、そういうモチベーションは持ち合わせていません。
「原発事故が原因だ」なんて、そもそも北海道に来るきっかけとしては「不幸」すぎます。
1年生の子達が、自分の体よりもおおきなスーツケースをもって、お父さんやお母さんの元を1週間以上離れて生活する、しかも本人たちは、特に行きたいと思っていたわけではなく、「行かされている」状態で北海道を旅するのは、子どもの心身の限界を超えています。
でも、どうにかしないといけない。そんな激動の中で受け入れたのが、2011年の夏でした。来る方も、受け入れる方も、そりゃあもう大変でした・・・。
しかしながら、「ふくしまキッズは保養・避難ではなく、教育活動である」と改めて明確に位置づけ、スタッフやボランティアの皆さんが粘り強く活動に関わってくれたおかげで、今北海道にやって来る子どもたちの心模様も「最初はさみしいけど、いろんな人と遊ぶのが楽しい、だから行く」とだいぶ変わってきました。
「また来たよ」「また来るから」「またおいで」そんな挨拶が繰り広げられている様子を見るのは、とても嬉しいものです。
目立ったプログラムは用意しない・提供しない
さてさて、そんな大挙してやって来るふくしまキッズ、北海道では大きく「拠点型」と「キャラバン型」の2つに分けて受け入れています。
「キャラバン型」は、道内各地を移動して回り、「拠点型」は、あまりあちこち動き回らずに、じっくりと生活します。ぼくはこの「拠点型」を担当すべく、道南地方の七飯町・大沼にずっと住み込み、子ども達と過ごしていました。
こういう支援型の活動って、受け入れる地域側が「せっかくだから」とあれもこれも提供するもんだから、気がつけばイベントてんこ盛りの活動になりがちです。みんなよかれと思ってやるのですが、子どもたちは大人に引きずられて疲弊するばかり。そんなシーンをたくさん見てきましたので、大沼はのんびりじっくり型のプレースタイルにすることとしました。
つまりは、ほとんど目立ったプログラムは用意しない・提供しない、という、「スタッフはサボっているんじゃない?」と揶揄されてしまいそうな真逆の手法に切り替えたのです。
その結果、どうだったか。
まず、子どもたちは、最初はめちゃめちゃ面食らっていました。
あれをやろう、つぎはこれだよ、という指示がないわけです。しかも、滑り台とかブランコといった、「見ただけで遊び方がわかる」ものはありません。
そして、普段あまり外で遊べなくなっているだけに、子どもたちはどうしていいのか感覚が戻ってこないのです。「指示待ち気質」な子どもたち。え?遊んでくれるんじゃないの?としばしボーゼンと立ちすくむ子が、結構いました。
しかし、その時間はあっという間に終了。次の瞬間、その周辺、10メートル四方ぐらいなのですが、ウロウロしはじめるんですね。
そして、自分の足の裏で、皮膚感で、その場の安全を感じると、しゃがみこんで虫を見つけたり、石をけっとばしたり、投げたりと本能のままに動き出します。
意外と、いきなり走り出したり、駆け回ったりはしません。まずはそのエリアの安全を確認し、じわじわとエリアを広げる、という本能がしっかり働いているようです。よく、この段階で「さあ、みんなでおにごっこだぁ」とかいって、子どもたちを煽ってしまうスタッフがいますが、それはヤボってもんです。子どもたちが、安全の領域を徐々に広げていくその波長似合わせる必要があります。
そして、気がつけば、子どもたちの活動エリアはだんだんと広がり、活動の幅もダイナミックになっていきます・・・。と、そこまでは、こういう活動をちょっとかじったことがある人であれば、なんとなく想像できるでしょう。
その自由度を、さらにさらに持続させるとどうなるか。なんせ4週間も子どもたちはそんなところで生活するわけですから、そんな風に子どもたちを野放図にしたら、広い北海道のどこか遠いところに行ってしまうのでしょうか?
結果、なんと子どもたちは、かえって遊びのエリアを狭くしていきました。
何をやっているかというと、ここでなんと「おままごと」なんです。しかも、結構大きな子達も嬉々とした表情で
「いらっしゃいませぇー」
「はあーい、函館名物ホタテ塩ラーメンです」
「おいそうですねえ、いくらですか」
「いちおくえんでーす」
「えー、たかいなあ」
「じゃあタダでいいでーす」
と、話している中身はけっこうエグイですが、つまりは「おままごと」と楽しんでいるのです。どこか遠いところに行くわけでもなく、ますます危険なことをやり始めるのでもなく、そこに現れたのは「おままごと」であったのは、オドロキでした・・・。(※下記の写真は、見立てあそびの様子)
「イマジネーション」こそ、「生きる力」
要するに、「ソウゾウ」を楽しむ、という最も高度な遊びを楽しんでいるんですね。
どろんこを、昨日の晩御飯で食べて美味しかったラーメンに見立てる。ウッドチップを、食べたことはないけど美味しいと言われるホタテに見立てる。別にラーメン屋さんの建物があるわけではないのに、そこには確実に「札幌西山ラーメン」と書かれた赤のれんがぶら下がっている。
見えないものが、確実にそこにはあって、しかもそれを共有することができる。そんなリアルとファンタジーを行き来するようなワンダーランドを作り上げて、彼らは遊んでいます。しかも4週間、ずっと。
でも、これ、ふくしまキッズだから、福島の子だから、そういう現象が生まれたのか?外遊びができなくなった福島の子だから、なのか?と思うと、そうとも思えないんだよなあ。
今の時代、都市に住んでいる子だけのみならず、北海道の片田舎に住んでいる子どもたちも、実はほとんど遊ばない・遊べない傾向があります。裏を返せば、日本中の子どもたちは、このような本能的に遊ぶとか、クリエイティビティが促進されるような外遊びをする場と機会を奪われているのではないでしょうか。
そうか。「イマジネーション」こそ、「生きる力」。そう言ってもいいな。
福島の子たちと1ヶ月にわたって生活するなかで、図らずも日本の子どもたちの現状と課題、そして解決方法を見出すことができた、今年の夏でした。
Author:上田融
NPO法人いぶり自然学校・代表理事。昭和48年生まれ。平成8年より北海道の小学校で6年間勤務。平成14年より4年間、登別市教育委員会社会教育グループで社会教育主事として、ふぉれすと鉱山の運営に携わる。平成18年よりNPO法人ねおすの活動へ参画し、道内各地の自治体と協働し、第一次産業の取り組みを子どもたちに体験的に伝え、学ばせるプログラム開発および協議体の設立に関わる。平成20年より苫東・和みの森運営協議会副会長。平成27年より現職。プロジェクト・ワイルドファシリテーター、小学校教諭1種、幼稚園教諭1種等の資格を持つ。