学校教育

学校教員

学校教員・教師志望の大学生こそ学校外へ出よう!-学校教員・教師になってから苦労しないために必要なこと

学校教員・教師に求められるレベルは年々高まっており、それに伴い初任者に求められるレベルも上がっています。民間企業のように一定の研修期間などはなく、採用されてすぐに学級担任を任されることも少なくありません。様々な能力が求められる学校現場において活躍していくためには、教育実習が始まる頃ではなく、大学生の早い段階から準備を積み重ねていくことが不可欠です。
初等教育

子どもの運動能力を高めるために必要なこと(後編)-運動嫌いを生み、生活習慣病のリスクを高める体育や運動会

後編の記事では、学校教育の運動のあり方そのものを考えていきます。日本ではお馴染みの体育祭や運動会ですが、その中で勝敗を決めたり、順位を決めたりすることはどこまで必要なのでしょうか?日本においては、順位を決めることは比較的一般的ですが、他の国から見ると少々不思議に感じる部分もあるようです。運動の本来の目的とは何か、という所から、運動のあり方について考えていきます。
高等教育

大学に友達がいない「ぼっち」対策に力を入れる大学の今-誰とも会話を一日せず、4年間で友達ゼロの大学生も

高校生まで友達が作れていたのに、クラスや学級が明確でない大学において、自ら友人関係を築くことが困難な大学生が増えてきています。「友達がいない」ことが、大学を中退する一つの要因になっている側面もあります。大学側は大学生の友達作りを支援しようと、様々な取り組みを始めています。友人関係が築きにくくなったのは、大学そのものの性質もありますが、社会的な背景も関係していました。
初等教育

子どもの運動能力を高めるために必要なこと(前編)-幼児期の苦手意識から運動嫌いに!一斉指導よりも自由遊び!

運動において「競うこと」や「勝ち負け」も、確かに楽しさの要素の一つではあると思いますが、勝敗や優劣を重視することで、運動そのものを嫌いになってしまっては、本末転倒です。自ら体を動かすことが楽しいと思えるようになるには、幼児期や学童期でどのような経験が必要なのでしょうか?様々なデータを用いながら、学校教育の運動のあり方について考えていきます。
学校教員

「やりがい」だけの教育・学習支援業から脱却できるか?-以前よりも労働時間が増加し、疲労蓄積度も高水準

近年の国際調査から、「日本の先生は働きすぎ」という実態が徐々に明らかになってきています。「忙しいのは先生だけじゃない」という声も聞こえてきますが、様々な調査から、教育・学習支援業界は、労働時間が長いだけではなく、疲労蓄積度も高いことが分かってきています。教員の仕事の職務内容は多岐に渡りますが、「やりがいが大きい」という言葉だけで、済ませていていいのでしょうか。
中等教育

安易な「給付型奨学金」導入で見えなくなる本質的な日本の教育問題とは?-キャリア教育と10代から働ける環境の再構築こそ急務

貧困対策の一つとして注目を集めている「給付型奨学金」制度。卒業後に返済する必要のないこの制度で、誰もが平等に大学への学びにアクセスできるようになると、仕組みの整備が急がれています。しかし、貧困対策として「給付型奨学金」を導入することが、根本的な教育問題を見えにくくする可能性があります。高校卒業後の進路の選択肢が「大学進学」に傾いていることそのものに、問題はないのでしょうか?
高等教育

「困った子」ではなく「困っている子」生徒の数だけ、支援や指導は多様にある-東朋高等専修学校校長・太田功二氏インタビュー

大阪にある東朋高等専修学校。画一的に管理する教育から、生徒一人ひとりに目を向けた個性尊重の教育へと改革を進めることで、生徒の姿が少しずつ変わっていきます。そして「困った子」ではなく「困っている子」であったことも分かってきます。不登校、非行、引きこもり、発達障害…様々な問題を抱える生徒たちや保護者が求めている教育とは?真の「インクルーシブ教育」を考えていきます。
中等教育

長時間の部活動が子ども達から奪っている2つの機会-部活動ばかりの放課後が価値観や視野を狭めている

「一つの物事をやり遂げる」「仲間とのつながりができる」など、部活動を通して得られることや学びはあります。しかし、「部活に入るのは当たり前」のような雰囲気の中で、部活動への参加が半ば強制的になっている状況も少なくありません。放課後や長期休みなどの学校外の大半の時間を部活動に費やしている状況が、多様な価値観を身に着ける必要がある中学、高校時代において本当にベストなのでしょうか?
中等教育

日本の2020年「大学入試改革」はどうなるのか?③-「選別のためのテスト」から「育成のためのテスト」へ

変わりゆく社会の中、新しい時代に対応できる人材を育成するためには、従来の「テスト」の考え方や方法を変える必要があります。しかし、多くは採点の利便性など選抜する側の都合で、テストの実施方法をなかなか変えることができません。テストは何のために行うのか、世界の流れから見た時に、テストはどのように変化していくべきなのか、根本的な発想の転換が求められているのかもしれません。
中等教育

日本の2020年「大学入試改革」はどうなるのか?②-なぜ、試験制度が大きな社会的価値を持つようになったのか?

2020年の大学入試改革に向けて、大学入試についての様々な議論が活発化しています。しかし、「大学入試のあり方」そのものではなく、「大学入試のやり方」について、議論の方向が集中してしまっています。試験やテスト自体に絶対的な価値があると信じられてきましたが、本当にそうなのでしょうか?そもそも、この「試験」「テスト」という制度は、いつの時代からどのように始まったのでしょうか。